つらつら日暮らし

道元禅師の覚晏道人への上堂は「宣疏」だったのか?

道元禅師の会下にいた、達磨宗の懐鑑首座が、先師である仏地覚晏道人のために上堂を請したことがあった。以下の通りである。

 懐鑑首座、先師覚晏道人の為に上堂を請す。
 拈香罷、座に就いて払子を取って云く「前来の孝順、誰人か斉肩ならん。今日の廻向、聖霊炳鑑すべし。弟子が先師を仰ぐの深き志、先師独り知る。先師、弟子を憐れむの慈悲、弟子一り識る。余人焉ぞ知らん、外人未だ及ばず。所以に道う、『有心もって知るべからず、無心もって得るべからず、修証もって到るべからず、神通もって測るべからず』と。這田地に到って如何が商量せん」。
 卓、拄杖して云く「唯、拄杖有って了々常に知るのみ。拄杖甚と為てか了々常知するや。職として、過去の諸仏も也、恁麼、現在の諸仏も也、恁麼、未来の諸仏も也、恁麼。然も是の如くなりと雖も、這箇は是、仏祖辺の事、作麼生か是、知恩・報恩底の道理」。
 良久して云く、「哀れなる哉、昔日一団の空。眼華を悩乱して、大地紅なり。血涙胸に満つ、誰に向かってか説かん。只、憑むらくは拄杖善く流通せんことを。這箇は是、知恩・報恩底の句。作麼生か是、仏祖向上の事」。
 拄杖を階前に擲下して下座。
    『永平広録』巻3-185上堂


ここで、道元禅師はおそらく、懐鑑首座が覚晏道人のために上堂を請したことを讃え、「孝順」として評価している。そして、その上堂を拝請するという善行の功徳を、覚晏道人が良く見極めてくれるように願っておられる。その見極めることを意味するのが「聖霊炳鑑」なのだが、この語句が今回の記事に繋がっている。

「炳鑑」という用語だが、法要で用いる「疏」で用いられる。

修正啓建満散の疏は、十方三宝諸天龍神に白し上る趣きにて、聖寿を祝し、国家山門にかかるの祈祷ゆへに、瑩規の疏文にも、所集鴻福、祝献日本開闢と云より下に、諸天善神を列す、しかるに末に陛下容納とあるは、疏を皇帝に上るに聞ゆるなり、道理にたがふ、三宝証明、諸天炳鑑などありてよし、
    面山瑞方禅師『洞上僧堂清規考訂別録』巻6「諸疏法考訂」


このように、「疏」の末尾に「炳鑑」という用語が見えることが指摘されている。もちろん、中国の禅宗語録・清規等を渉猟すると、「疏」のみならず「牓」などにも使われるようだが、結果として、回向すべき対象などがしっかりと見極めてくれることを願う言葉である。

さて、それでは先の引用した上堂では、冒頭で使われているけれども、この全体が「疏」だったといえるのだろうか?拙僧なりの結論だが、道元禅師が上堂中、或いはその前後に「拈香」した事例は、決して多くない。上記の一則と、「天童和尚語録到るの上堂。〈繁詞は録さず〉師、乃ち起立して、語を捧げて薫香して云く……」(『永平広録』巻1-105上堂)であり、或いは、「準書状、懐鑑上人の忌辰の為に上堂を請す、云く、老鶴巣雲の眠り未だ覚めず、壷氷雪上更に霜を加う。荘厳報地豈に他事ならんや。有少かに薫修有り一炷香」(同上巻7-507上堂)などとあって、やはり特定の祖師に対して行われた追悼(報恩)の上堂の時に、焼香されている。

よって、先の覚晏道人に向けて行われた上堂は、明らかに追悼の内容であったが、その前に珍しく拈香しておられるので、通常の場合よりも法要としての意味を伴っていたと思われる。だが、内容は他の上堂と同じであり、「疏」に見るような追悼相手の顕彰が見えず、むしろ上堂を請した懐鑑首座の孝順・報恩を讃える内容になっているため、異なっている。後は、上堂より前に「疏」を唱えていた可能性だが、それも本来は逆だと思うので、拙僧の仮説は不成立となった。

でも、「炳鑑」をこういう用い方をした事例って、少ないんだよなぁ。絶対に、何らかの意味があるはずなのだ。

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