つらつら日暮らし

四苦八苦について

今日は、4月9日なので、勝手に「四苦八苦」について考えてみたいと思うのだが・・・いや、「四句」だけだろ?とか思った読者諸賢は流石である。当方も、個人的に全く同じ感想を懐いた。でも、書き始めてしまったので、その調子で綴ってみたい。

ところで、良く、「釈尊は人の苦しみを、四苦八苦としてまとめ・・・」などという文章があったりするのか、しないのか、ちゃんと調べていないが、でも、印象的にはこの通りである。しかし、漢訳仏典を一通り調べてみても、「四苦八苦」という「四字熟語」で記載する事例というのは、ほぼ、無いといって良い。

古いものだと、天台宗の智顗が『維摩経』の註釈書で「又た三苦・四苦・八苦と為り苦しむ所、苦の甚だしきなり」という表現を用いているようだが、これも「四苦八苦」と繋がっているものの、「四字熟語」では無い。何故ならば、「三苦」が前に付いているからだ。

この辺を知っておかないと、「四苦八苦」知ったかぶり状態になるので、要注意である。

ところで、そうであれば、釈尊が「四苦」や「八苦」を説かなかったか?といえば、それも誤りといえる。

凡夫・愚人、是を以ての故に、便ち生・老・病・死苦を受くるなり。
    『中阿含経』巻2


こんな感じで、「生老病死苦」という「四苦」を語っている。ただし、多くの場合は、他の苦と交えており、この4つだけに限って説く事例は、実は余り多くない。そして、「八苦」についてだが、これはもっと少ない。阿含部の経典であれば、『涅槃経』系に見られ、また、釈尊の弟子の論師達による註釈書の方が見られる印象である。

比丘よ、苦諦とは、いわゆる八苦なり、一には生苦、二には老苦、三には病苦、四には死苦、五には所求不得苦、六には怨憎会苦、七には愛別離苦、八には五受陰苦なり。
    『大般涅槃経』巻上


このように、八苦を連ね、それを「苦諦(苦という真理)」だとしている。或いは、以前、【「四苦八苦」とは伝統的表現なのか?】でも書いた通り、「八苦」という場合は、最後に置かれる「五盛陰苦」こそが肝心だと示されている。とはいえ、この辺は「8月9日」にでもアップしたい記事ではある。

ところで、『般若経』とかだと、一切皆空だから生老病死も無という話になってしまうのだろうか。『般若経』では「四苦」をどう考えているのかな?調べようと思ったけど、大変そうなので、来年にでも書くか・・・

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