つらつら日暮らし

「第一官律名義弁」其五(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・5)

ここ数回、釈雲照律師『緇門正儀』の「第一官律名義弁」の内容を見ている。なお、これは【1回目の記事】でも採り上げたように、「今略して、僧に位官を賜ひし和漢の官名、職名及び初例を挙示せん」とあって、職名の意味というよりは、任命された最初の事例を挙げることを目的としているようである。よって、この連載では、本書の内容を見つつ、各役職の意義については、当方で調べて、学びとしたい。

一 大僧正
 普通〈梁の年号〉六年、法雲を勅して、大僧正と為す。吏力、備足せしむ。
    『緇門正儀』3丁表、訓読は原典を参照しつつ当方


実は、この前にも幾つかの役職があったのだが、当方自身も余り聞いたことが無かったので、採り上げるのは止めて、聞いたことがある「大僧正」にしてみた。なお、日本での「大僧正」は、行基菩薩(668~749)が最初だったとされる。

豊桜彦の天皇、甚だ敬重したまふ。詔して大僧正の位を授け、并びに四百人の出家を施す。
    『続日本紀』巻17「天平二十一年」項


この豊桜彦の天皇とは、聖武天皇の諡名(和名)である。よって、聖武天皇の代に、行基菩薩に対して「大僧正」を授けたと書いてあるわけだが、これ以前に授けられた記録が無いので、行基菩薩が最初、という話になっており、また、天平17年(745)とされる。

それでは、中国では、という話になるのだが、先に挙げた通り、南北朝時代の南朝・梁に於ける普通6年(525)に法雲という僧侶に武帝が勅して与えたという。この大僧正という位について、他の文献では以下のように触れられている。

(普通)六年、光宅寺の法雲に勅して、大僧正と為す。官、吏力を給う〈僧正、姚秦に始まり、今、大の字を加う〉。
    『仏祖統紀』巻37


他にも、『釈氏要覧』などでも、やはりこの時に「大僧正」という位が作られたとするので、まずはそれをその通り受けておきたい。問題は、この法雲(467~529)という僧侶についてである。調べると、『妙法蓮華経義記』という註釈書を著している。それから、『続高僧伝』巻9「義解篇初」に伝記が見られるが、大僧正にした詳しい理由が書いてあるわけではない。ただし、武帝に大変に重宝されていたので、当然だったというべきだろうか。

【参考資料】
釈雲照律師『緇門正儀』森江佐七・明治13年

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