おそらくは江戸時代には既に一般化されているとは思うが、明治時代になってすぐの資料にも見出したので、紹介しておきたい。
KAI-MYO,カイミヤウ,戒名,n. The name given by the Buddhists to a deceased person,posthumous name.
『和英語林集成』1872年、199頁
以上の通りなのだが、訳してみると、「仏教徒が故人につけた名前、おくりな」の意味であることが分かる。つまり、明確に「故人に付けた」と解釈できるので、少なくとも、この辞書の編者は、戒名が死後の名前であると理解していたことになる。
これが、明治5年の段階での解釈であるから、江戸時代の段階で、既にこの意味で理解されていたのではないか?という推測が成り立つのである。これは、同じように、明治時代初期に書かれた、葬儀法の解説書にも共通している。
愚民は偶像を拝し、妄説を信じ、人死すれば僧に依頼して戒名を附け、布施を投て経を誦せしむ、故に卑賤に至ては祖先の戒名を知て、実名を暗記せざる者多し、
市岡正一『日本地誌』巻1、弘学館・明治8年、7~8頁
何だか酷い文章のように思うのだが、書いてあったのでそのまま紹介した。場合によっては、人権的問題にも感じられるから、取り扱いにはご注意いただきたい。要するに、この著者は、先祖について戒名だけが残り、実名が残らないことへの批判であり、引いては仏教批判というべき文章である。
なお、ここも、やはり戒名は死後の名前であると理解されている。
一方で、神道の関係者の中でも、正しく理解されていた事例もある。
先祖以来の位牌、院号・居士号、信士・信女も尽、戒名とて〈戒名とは仏弟子に成たる験なり〉仏号なれば廃め、前の図の如く霊主を作り・・・
古川躬行『庶人喪儀式』赤志忠七・明治5年、12~13頁
こちらでは、要するに神道式の葬儀(神葬祭)を促すために、戒名の意義を示しつつ、「廃止」するように求めた文章である。ここでは、単純に「死後の名前」だとは書いているわけでは無い。むしろ、「仏弟子に成った験」だとしていて、これは正しい表現のようにも思えるが、出来れば「受戒」についても書いていて欲しかったところではある。
とはいえ、それは無い物ねだりというべきか。
とりあえず、上記の通り、明治初期の段階で既に、戒名を「死後の名前」だと考えている事例が存在した。機会を見て、江戸時代の事例も探っていきたいと思っている。
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