肇法師云く、梵網経一百二十巻六十一品、其の中菩薩心地品第十、専ら菩薩行地を明かす。
余憶うに、此れ一百二十巻中、定めて冬夏安居の法式有りて、而も審らかなるべし。
伝に謂う、真諦三蔵、菩薩律蔵を将ちて此に来せんと擬する時、南海に於いて船に上るも、船即ち没せんと欲す。余の物を省去すれども、仍りて猶お起たず。唯だ律本を去れば、船方に進むことを得るのみ。
真諦、歎じて曰く、菩薩戒律、漢地に縁無きことを悲しむ。但し、是の如くの因縁有るも、梵網大本、未だ渡らざるを以ての故に冬安居の説、広伝せざるのみ。
『面山広録』巻24「冬安居辯」
この一節を紹介していきたいと思うのだが、これは『梵網経』の伝来と、同経の大本(完全版くらいの意味)が来る前(というか、現代的な研究では、『梵網経』は中国成立とされている)の真諦三蔵の話である。登場人物について、少し整理しておきたい。
・鳩摩羅什三蔵(『梵網経』を翻訳したとされた):344~413年或いは350~409年とも
・僧肇法師(鳩摩羅什三蔵の弟子):374か384~414年
・真諦三蔵(西インドから西来した訳経僧):499~569年
さて、面山禅師が何を主張しているかというと、『梵網経』の伝来についてである。面山禅師は、現在は「盧舎那仏説菩薩心地戒品第十」しか伝わっていない同経について、僧肇法師による「序」に、同経では「一百二十巻六十一品」があるという指摘があるが、現在残っている「菩薩心地品」以外のところに、「冬夏安居の法式」があって、しかも審らかだったに違いないと推定しているのである。
そこで、鳩摩羅什三蔵・僧肇法師よりも後代になる真諦三蔵が西インドから中国に来る時の伝承を紹介している。典拠は・・・?太賢『梵網経古迹記』巻1だったことが判明。というか、同記の記述に面山禅師が「冬夏安居」を追加した文章になっているようである。
次回は、栄西禅師のことに話が移り、日本への冬安居の伝承になっていくので、最終的に「冬夏安居の法式」がどうなったのかは、それ以降の検討である。
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