つらつら日暮らし

『仏垂般涅槃略説教誡経』に学ぶ(2)

曹洞宗では、三仏忌の一として釈尊涅槃会を毎年2月15日に行っており、我々は例えば、この涅槃会を前に、『仏垂般涅槃略説教誡経(遺教経)』を学びたい。

そもそも同経の題名について、「垂」の字が入っているため、「垂誡」の意で解釈する人もおられるようだが、実際には、「仏が般涅槃に垂んで、略説した教誡の経」の意味である。「垂」は「のぞんで・なんなんとして」の意であり、「垂誡」の意味ではない。「仏が般涅槃するに垂んで、略説した教誡の経」と読むべきである。ということで、本日は関連した一節を読み、学びを進めたい。

ところで、『遺教経』は、全部で「七分」から成立しているとされる(岩波文庫本「解題」参照)。

一、序分
二、世間の功徳を修習する分(一、邪業を誡む。二、根心を誡制す。三、多衆を誡む。四、睡眠を誡む。五、瞋恚を誡む。六、貢高を誡む。七、諂曲を誡む)
三、出世間大人の功徳を成就する分(一、少欲功徳。二、知足功徳。三、遠離功徳。四、精進功徳。五、不忘念功徳。六、禅定功徳。七、智慧功徳。八、究竟功徳)※八大人覚
四、畢竟甚深の功徳を顕示する分
五、入証決定を顕示する分
六、未入上上証を分別するため疑を断ずる分
七、種種の自性を離るる清浄無我の分


これを見ると、なるほど、どこか拙僧自身、道元禅師『正法眼蔵』「八大人覚」巻の影響からか、「三」にのみ注力していた感もあるが、当然に他のところも大事である。「略説」と題にある通り短いが、でも分かりやすくまとめられている。ただ今日は、以下の一文を見てみたい。

頂来す三世尊、功徳の無上なること海の如し
哀愍して衆生を度す、是の故に我れ帰命せん
清浄なる深法蔵、修行を増長する者なり
世及び出世間、我等皆な南無せん
我れ論を建立する所、仏経の義を解釈して
彼の諸菩薩の為に、方便の道を知らしめん
彼の道を知るを以ての故に、仏法の久住することを得ん
凡聖の過を滅除して、自他の利を成就せん
    天親菩薩造『遺教経論』


これは、『遺教経』の註釈書である『遺教経論』の冒頭に付された、天親菩薩の序の偈である。かつての人は、こういうつもりで註釈されていたのか、と思う次第である。諸菩薩のために、方便の道、つまり仏陀の教えとそれをどう広めていくかについて知り、そしてこれを知ることで仏法を久しく住せしめたいという。まさに、仏法を学ぶことは、この意図と他ならないと理解されるべきである。

その上で、以下の一文である。今日は、「二、世間の功徳を修習する分(六、貢高を誡む)」を学んでみたい。

汝等比丘、当に自ら頭を摩でるべし。以て飾好を捨てて、壊色の衣を著し、応器を執持して乞を以て自活す。自ら見ること是の如し。若し憍慢起これば、当に疾く之を滅すべし。憍慢を増長するは、尚お世俗の白衣の宜しき所に非ず。何ぞ況や出家入道の人の、解脱の為の故に自ら其の身を降して乞を行ずるをや。

要するにこれは、出家者の姿、自活の方法、そして世俗からの見られ方について指摘した箇所だといえる。この三者が揃って、初めて具体的な説示になる。特に3番目は、仏陀は「譏嫌(機嫌)」という言葉を使ったともされるが、世間からどう見られるか、という視点を入れて『律蔵』の一部が編まれ、律が制定されたため、この辺はその影響もあるかと思う。

さて、ここでいわんとしていることは、比丘であれば、応量器(比丘の食器)のみを持って、乞食(托鉢)でもって自活するように説いている(いわゆる頭陀行)。そして、驕り(憍慢)の考えを持ってはならないとしている。驕りは、世俗の白衣(在家の人)が認めないという。この辺、僧侶だから偉いということにはならない、当たり前だが。

まぁ、拙僧も道理を説こうとしてはおりますが、それは偉いからではない。ただ、道理を説いている。

仏陀は涅槃に入られる前に、自分が涅槃に入った後、遺された弟子達がどう修行すべきかを示された(よって「遺教」という)。この一節も、そういう観点で見ると、最期の最期まで、本当に基礎的なところでお話しをしておられたのだ、と思う。基本に始まり基本に終わる、これはできそうでなかなかできない。釈迦牟尼世尊とは、そういうお方であられた。南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏。

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