先日、或るテレビ番組で「離檀料」を問題視した内容が放映されたという。しかし、いつも思うが、「戒名料」にしても、「離檀料」にしても、それを実施する寺院や、当該寺院の住職などが法律・法令の違反をしているわけではない。また、例えば、一部で問題になった、「霊感商法」などと同一視もできない。
以下は、「想定」の話だが、例えば、寺院には護持会という檀信徒を中心とした寺院運営を補佐するための会を組織している場合があり、そこが、離檀の場合には一定額の金銭を寺院に納めることを目的としていた場合、それは或る意味、檀信徒の総意になる。そうなると、これを誰が批判できるのだろうか?もちろん、日本は「言論の自由」が保証されているため、批判はできるかもしれないが、住職独断では無くて、檀信徒からも、その集める目的が共有されていた場合、「離檀料」は全く問題が無いと思うのだが、如何だろうか。
それから、拙僧的に今回の某番組について問題に感じていることは、「離檀料」を一方的に悪意を持って批判し、「最後の一儲け」というような位置付けにしたことだろう。そうなると、拙寺の先住などが行ってきたことについて、「悪しき行為」だったということになるのだろうか?
拙寺などは、人口維持の限界を超えた、明らかな人口減の地域に所在しているため、1970年代以降、徐々に地域社会の人口が減ってきた中で運営されてきた。もう、人口が減って50年である。ただし、これまでは、それが「檀信徒減少」には繋がってこなかったわけだが、流石に2020年代まで来ると、檀信徒が地元から離れるのは当然で、後は「離檀」となるケースも増えてきた印象である。
また、「離檀」という意図を持って離れる場合はまだ、「離檀料」という話にもなるかもしれないが、後継者が誰もいなくて、単純に「檀信徒減少」になることもある。この場合、残された墓地の後片付け(適切な供養の継続)なども寺院が負担する場合もある。もし、今回のテレビ番組で問題視された「離檀料」が、そういったケースでの費用負担に利用されているとすれば、これは誰かが批判して良いことになるのだろうか?
明確に申し上げて、誰も批判してはならないと思う。以上は、あくまでも「想定」の話だが、現実とそれほど遠い事柄では無いと思う。
先日のテレビ番組は、そういった様々な可能性や、本当の問題点なども一切考慮されないままに、檀家を離れる場合に、金銭が要求されたケースがあることのみを、批判したことが問題のように思う。一方的な価値観の押し付けや、価値観の誘導とも判断されるように思うのだが、如何だろうか。
更に、拙僧は、そうであれば寺院の経営改革などを行うべきだ、という意見にも慎重だ。理由は、仏教という宗教に、本来は相容れないはずの資本主義的発想を、そのまま当て嵌めているためである。仏教とは、僧団や寺院の経営については本来、保守的であろう。収入を得る方法にも、大乗仏教の一部では「四邪・五邪」といった規制をかける。
総て僧食とは、須らく四邪・五邪を離るるべし。寺院の僧食、亦復た是の如し。監院・住持、須らく明鑑察すべし。
いわゆる四邪とは、
一には、方邪、謂わく国の使命を通ず。
二には、維邪、謂わく医方・卜相なり。
三には、仰邪、いわく星宿・日月・術数等を仰観す。
四には、下邪、謂わく種種、五穀等を植根す。
以前の四邪食、亦た四口食と名づけ、亦た四不浄食と曰う。食すべからず。
五邪とは、
一には、利養の為の故に、奇特相を現ず。
二には、利養の為の故に、自ら功徳を説く。
三には、卜相・吉凶、人の為に説法す。
四には、高声に威を現し、人をして畏敬せしむ。
五には、得る所の供養を説いて以て人心を動ず。
上来の五邪の因縁の得る所の食、亦た食すべからず。仏弟子・善知識、早く五邪を離れ、方に正命を為すべし。
『永平寺知事清規』
問題は、「利養の為の故に」とある通り、自分の寺院や住職としての金儲けなどを基準に、事業展開をしてはならないのである。どこまでも大事なのは、施主からの信施(信心に基づく布施)なのである。そして、その延長としての「離檀料」「戒名料」であれば、どちらも問題は無いのである。ただ、日本という国は、真実の仏教を根付かせるのは、鎌倉時代から大変な土地ではあった。
問云、仏教の進めに順て乞食等を可行歟、如何。
答云、可然。但、是は土風に順て斟酌有るべし。なにとしても、利生も広く、我が行も進むかたに可就也。是等の作法、道路不浄にして、仏衣を着て行歩せば可穢。また人民貧窮にして次第乞食も不可叶。行道も可退、利益も不広歟。ただ土風を守て、尋常仏道を行じ居たらば、上下の輩自供養を作すべし。自行化他成就せん。
『正法眼蔵随聞記』巻2
このような教えを拝していると、一足飛びに自分だけ良ければ良いという考えは絶対に出来なくなる。どちらにしても、他人や他山が必死になっている状況を、揶揄するような発言は慎むべきだと思うのだが、この辺はどうだろうか。せめて、どのお寺、僧侶も平等に行え、また、持続できるような方途こそが、求められているように思う。
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