つらつら日暮らし

『長阿含経』に於ける他宗教と仏教僧団について

「異学」という用語が気になった。

 時に迦葉、仏に白して言く、云何が瞿曇、我、此の法中に於いて出家して具戒を受くることを得るや不や。
 仏、迦葉に告げ、若し異学有りて、我が法中に来入して出家修道することを欲する者は、当に四月を留めて観察して称りて衆意とすべし。然る後に、当に出家受戒することを得る。迦葉、是の法有ると雖も、亦た其の人を観るのみ。
 迦葉言わく、若し異学有りて仏法中に来入して梵行を修せんと欲する者は、当に四月を留めて観察し称りて衆意とすべし。然る後に、当に出家受戒を得べし。我れ今、能く仏法中に於いて、四歳観察して、称りて衆意とすべし。然る後に乃ち出家受戒す。
 仏、迦葉に告げ、我れ已に言有り、但だ其の人を観るのみ。
 爾の時、迦葉、即ち仏法中に於いて、出家し具足戒を受く。時に迦葉、受戒して未だ久しからざるも、浄信心を以て、無上の梵行を修す。現法中の自身に証を作す。生死已に尽きて梵行已に立す。所作已に弁じて後有を受けず。即ち阿羅漢を成ず。
    『長阿含経』巻15


まず、ここで主役となっているのは、迦葉尊者のことである。しかし、元々別の宗教(異学)で学んでいた迦葉尊者は、仏教に帰依することを決め、その際に釈尊に対して、どのようにすれば、仏法中で出家して、具足戒を受けることが可能なのか?と質問したのである。

それに対して、釈尊が迦葉尊者に告げた内容とは、もし、異学が、仏法中で出家し、仏道を修行したいというときには、四ヶ月間留めて観察し、その後、出家し受戒することができるという。何故、この期間を置くかといえば、その人となりを見るためだという。仏教僧団にも様々な人が出家してくるから、場合によっては混乱を起こす人もいたかもしれない。よって、まずは4ヶ月の間、置くことによってその人となりを見たのである。

ところが、迦葉尊者自身は、自分は四ヶ月ではなくて、四年もの間、観察してもらい、その後に出家し受戒するという。そして、実際に出家した迦葉尊者は、受戒してから間もなく、信心を持って、無上の清らかな修行を行い、悟りを得て、阿羅漢となった。

色々と見ていくと、この後にも、他宗教からの転身時に、どのように受け入れていくかは僧団内で問題になったようである。これは、扱いを間違うと、無用な混乱や、果てには分裂といった問題を引き起こす可能性があったためである。それを思うと、このようにしっかりと対応していたというのは、1つの評価方法として理解できよう。

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