つらつら日暮らし

南山道宣が示す六黙道場

とりあえず、以下の一節を見ておきたい。

  六時に於いて語笑することを得ざる法・第十五〈六條〉
一には礼仏。二には聴法。三つには衆集。四つには大食。五つには小食。六つには大小便。
    『教誡新学比丘行護律儀』


実は、貞享3年(1686)・永田長兵衛開板本が手に入ったので、改めて全体を見直していたのだが、ここを見ていて、なるほどこれは「六黙道場」だと思ったので、記事にした次第である。もちろん、【三黙道場】というのは聞いたことがある人も多いと思うのだが、道宣の指摘では、道場という「場所」というよりも、自らの行為に即して行われるべき「黙」である。

そこで、ここで問題視されているのは「語笑」ということで、修行僧同士で世間話をして談笑することなどを指すことは明らかである。

では、そのような「語笑」が禁止されている機会とは何かといえば、一つは「礼仏」である。これは、仏像を礼拝し、懺悔などを行う機会を指す。確かに、礼拝しているのだから、語笑などは出来ないはずである。

二つは聴法ということで、これは指導者から教えを聞くことをいう。確かに、先生の話を聞くのに、語笑するのはおかしな話である。

三つは衆集ということで、これは大衆が集まることをいう。要は、同じ修行者仲間で集まる機会を指すが、普段なら、こういう場合こそ、雑談が飛び交うところだが、ここでは禁止されている。

四つは大食とあり、五つは小食とあるが、この意味が当初は分からなかった。いや、後者が朝食の意味だというのは、現代の日本仏教でも使うことがあるので、それかと思ったが、「大食」が分からなかったのである。そこで、色々と調べてみたのだが、「大食・小食」と続けて用いている場合がほとんどで、中国での註釈書だと、これを「二時」に配するので、インドでの用法は、理解が及ばないところがあるが、中国では大食=昼食、小食=朝食だったとしておきたい。

結局、食事の時には余計な雑談をすべきではない、といえよう。

そして、六つは大小便で、これは今の用法と同じ。つまりは、トイレに入っているときには語笑をするなということになる。なお、この六つの見解について、道宣がどこに依拠したがだが、例えば『四分律』を見ても、今一つ分からない。

よって、口伝というか、しきたりだったのかもしれないし、「礼仏」などを思うと、中国で作られた決まりかもしれないが、どちらにしても、余計な時に余計なことはしゃべるべきではない、ということになるのだろう。

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