旧説に曰く、薬石、晩間の粥と謂う。蓋し隠語なり。凡そ禅林の清規、挙する所の戒相、沙弥十戒に止めて、而も已む。具足戒を挙げず、故に禅僧の行事、此の十支に於いて、缺漏無く、足れり。謂つべし、簡易なりと。
然るに、猶お堅持せず、午を過ぎて食するは、可なりや。抑も晩粥を喫するは、体を養い病を療じ、道業を進修する為なり。故に称して薬石と為すなり。粥の咒願、所謂、粥は是れ大良薬、是なり。
『禅林象器箋』巻25「薬石」項
意外なことに、本項目から禅宗での旧説から導かれる「禅戒(禅宗の戒の意味)」観が見えてしまった。つまり、禅林の清規としては、「沙弥十戒」までだとしており、「具足戒(二百五十戒)」などを授けていないとしているのである。これは、『禅苑清規』巻9「沙弥受戒文」などを承けた見解であり、簡易な沙弥十戒をもって足れりとした。
しかし、その上で、何故、それを「堅持」しないのか?という話にもなっていて、それは、午(正午)を過ぎてから食事をすることの是非を問うている。数え方などは複数あるものの、一般的な「沙弥十戒」には、「第九不非時食戒」が含まれている。つまり、非時食を否定したものだが、それにも関わらず、何故「晩粥」を喫するのか?という話になっているわけである。
ただし、以上の通り、晩粥を喫するのは、身体を養い、修行を続けるためであることから、これを「薬石」というとしている。そして、証拠として、「咒願」を挙げているが、以下の通りである。
粥是大良薬、能除消飢渇、施受獲清凉、共成無上道。
『禅苑清規』巻1「赴粥飯」項
以上の一節は「首座施食」や「粥時偈」ともいうが、「粥是大良薬」とあることが分かる。
それから、無著禅師は以下の一節も紹介している。
黄檗清規に云く、薬石とは、晩食なり。比丘、午を過ぎては食さず、故に晩食を薬石と名づく。饑渇病を療ずる為なり。
『禅林象器箋』巻25「薬石」項
こちらもやはり、「薬石」を「晩食」とし、その意義として、飢えや渇き、病を療ずるための食事だと解釈されている。黄檗宗は来日後、『弘戒法儀』を通して或る意味での戒律復古を実施した宗派として知られているが、「薬石」については「非時食」と見なさないとして共有されていたようだ。
簡単な記事ではあるが、『禅林象器箋』「薬石」項の一部を紹介してみた。
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