つらつら日暮らし

無住道曉『沙石集』の紹介(最終章16)

前回の【(最終章15)】に引き続いて、無住道曉の手になる『沙石集』の紹介をしていきます。

『沙石集』は全10巻ですが、この第10巻が、最後の巻になります。そして、第10巻目には「本・末」とあって、現在は「末」の部分、つまり最後の巻の最後の部分になります。その末尾には「述懐の事」と題して、無住が何故本書を著したのか、その心念などが述懐されています。しかし、思った以上に長いので、前回と今回の2回に分けて見てみたいと思います。

 田舎の、ある山里の柴の庵で、(物語を書きたいという)心だけがある中で、書籍も持っていないので、手に持った筆に任せて、その想いのみを簡単に書いた。多くは、誤ったことも多いだろうけれども、その筋が仏法の意図に違わないようにしたので、大綱を知る人がおられれば、私の願いは満たされる。
 文書の文章や、古人の名についても、ちゃんと知らないことが多い。後代の賢人達は、直し明らかにして、弘めてくれることが私の望みである。
 中国には荊溪湛然の『金錍論』、日本では吏部(紫式部)の『源氏物語』も事物に寄せて作られたものだが、或いは世の中の人の、情があることを思い、或いは仏法の義門を理解させるために、その跡を遺した。私の著作も、見聞した世間のことについて、出家解脱の道を知らせようとしたものであり、古今の違いはあるが、志は同じものである。
 心ある人は、この志を助けて、誤りを正しく直し、なお、書き繋ぐなどして、愚かな人を導く媒体として、見聞した人、随喜の輩、将来には互いの導き手(善知識)となって、仏乗を讃える因となり、法輪を転ずる縁として、菩提心を発す種とし、説の通りの修行する糧とすべきである。仏弟子たる私の本意は、ここにある。
 南無仏陀三宝、南無和光善神は、これを擁護していただき、冥助を加えていただいて、この仏弟子の心願を助け、この物語がはるか後の時代にまで弘通し、迷える衆生を導く縁となるようにしていただきたい。
  時に、弘安六年中秋
    拙僧ヘタレ訳


この一節は、無住が何故この『沙石集』を著し、しかも、それがどのように活用されるべきかを願っていたかが分かるものです。具体的には、多くの人に、仏法を知っていただき、迷いから脱してもらうということです。そして、興味深いのは、その前例として、中国天台宗の荊溪湛然の著作が出ているいることは分かるのですが、紫式部の『源氏物語』であっても、仏法を示す著作だと判断していることが興味深いです。

これはおそらく、無常観などを知らしめるものであったと評価しているのでしょう。

また、無住自身は、自らの知識や文章に絶対の自信を置いているわけではなく、誤りについては後人によって直されることを望んでいます。確かに、一部では、正しい引用かどうか判断できない場合もあります。覚えていた文章を、典拠に確認しないままに採り上げた場合もあるのでしょう。

それから、心ある人に対し、書き繋ぐことも望んでいる無住ですが、この意図を受けたものか、江戸時代に入ると『続沙石集』などを初めとして、類似の文献が出るようになります。

個人的には、無住が自らの行いへの加護を望んだ対象が「南無仏陀三宝、南無和光善神」となっていることが気になります。特に、後者の言い方は面白いと思います。確かに、無住は当時の神仏習合の文脈の中で生きた人ではありますが、ここまで明確に言われると分かりやすいですね。

以上、無住の本書に於ける述懐を簡単にまとめてみました。次回の記事が、この連載の本当の最終回になります。

【参考資料】
・筑土鈴寛校訂『沙石集(上・下)』岩波文庫、1943年第1刷、1997年第3刷
・小島孝之訳注『沙石集』新編日本古典文学全集、小学館・2001年

これまでの連載は【ブログ内リンク】からどうぞ。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

コメント一覧

tenjin95
> K.S さん

非常にご丁寧な情報提供を頂戴しまして、ありがとうございます。拙僧も含めて、多くの読者諸賢に資するものと思います。

なお、最初にご指摘いただいた『宝物集』については、「第五不妄語」に関連した文脈ですね。既に記事として用意はしているのですが、他の記事を優先している関係で、まだアップしておりません。

しかし、やはりあれだけの小説(フィクション)をなしただけあって、他の人々にとっても紫式部は関心の的だったことが良く分かりました。
K.S
失礼致しました。急いでいたため、と言い訳させて頂きますが、改めて読み返しますと、不備もあるし読みづらいですね。

とりあえず平安のもの、とだけ書いて典拠が抜けている部分につきましては『今鏡』になります。

参照したのは海野泰男『今鏡全釈』, パルトス社, 東京, 1996, p.519(上下合本の下巻)で、補注に細かい解説がございます。
また、お手に取りやすいものとして、以下も合わせて紹介しておきます。
竹鼻績『今鏡(下) 全訳注』(講談社学術文庫), 講談社, 東京, pp.591-592
K.S
長らくブログを読ませて頂いていた者です。今回は情報提供できそうだと感じたため、初めての書き込みとなります。
...といっても詳しくないのですけども。大学の講義で齧った内容ですので。


さて、紫式部の『源氏物語』ですが、その評価は二分されております(時代毎の傾向などは調べてないです、申し訳ない...)。つまり妄語の罪による紫式部堕獄説が取り沙汰され、彼女を救済するための供養が営まれる一方で、この著作を方便であると捉え、或いは彼女を観音の化身だと捉える見方が存在したようです。

例えばこのブログで取り上げられた『宝物集』ですと、「紫式部が虚言をもって源氏物語をつくりたる罪によりて、地獄におちて苦患しのびがたきよし、人の夢にみえたりけりとて、歌よみどものよりあいて、一日経かきて、供養しける。」といった記述があるようです。


後はとりあえず後者の文献を紹介いたします。沙石集より後代のものばかりですけどね。
現代仮名遣いに改めるなどして、読みやすくしました。

(平安時代のもの)
「またありし人の、
『まことや、昔の作り給える源氏の物語に、さのみかたもなき言葉の、なよび艶なるを、もしお草書き集め給えるによりて、後の世の煙とのみきこえ給うこそ、艶にえならぬつまなれども、あじきなく、とぶらいきこえまほしく』
など言えば、返り事には、
『誠に、世の中には、かくのみ申し侍れば、理知りたる人の侍りしは、、大和にも、唐土にも、文作りて人の心をゆかし、暗き心を導くは、常のことなり。妄語など言うべきにはあらず。
わが身になきことをあり顔に、げにげにといいて、人にわろきを良しと思わせなどするこそ、虚言などはいいて、罪得ることにはあれ。これはあらましなどやいうべからむ。綺語とも、雑穢語などはいうとも、さまで深き罪にはあらずやあらむ
(中略)
人の心をつけむことは、功徳とこそなるべけれ。情をかけ、艶ならむによりては、輪廻の業とはなるとも、奈落に沈むほどにやは侍らむ。この世のことだに知りがたく侍れど、唐土に白楽天と申しける人は、七十の巻物作りて、言葉をいろえ、譬いをとりて、人の心を勧め給えりなどきこえ給うも、文殊の化身とこそは申すめれ。仏も譬喩経なといいて、なき事を作り出だし給いて、説き置き給えるは、こと虚妄ならずとこそは侍れ。
女の御身にて、さばかりのことを作り給えるは、ただ人にはおわせぬようもや侍らん。妙音、観音など申すやんごとなき聖たちの女になり給て、法を説きてこそ、人を導き給うなれ」

(室町時代のもの)
「石山の観音のお誓いにて作り出だしたりとも(中略)作者観音の化身とも云えり。」
『原中最秘抄』

「或又作者観音化身也云々。水鏡云紫式部か源氏物語つくり出して侍はさらに凡夫の所行とはおぼえ侍らず。日本紀を初として諸家の日記にいたるまであきらかにさとりもちて時の人云日本紀の局と号し侍けり、とあり。凡此物語の中の人のふるまいをみるに、たかきいやしきにしたがい、おとこ女につけても人の心をさとらしめ、事のおもむきおしえずということなし。」
『河海抄』

「よくよく物を案ずるに、よくよく物を案ずるに、紫式部と申すは、かの石山の観世音、仮りにこの世に現れて、かかる源氏の物語、これを思えば夢の世と、人に知らせん御方便、げに有難き誓いかな。思えば夢の浮橋も、夢の間の言葉なり。夢の間の言葉なり。」
謡曲『源氏供養』
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事