敬老について、これは禅宗でいうところと、一般世間でいうところの意味は異なっている。例えば、禅宗には「長老」という言葉がある。無論、原始仏教からあったようだが、我々の定義は「凡そ道眼を具え、尊するべきの徳有るは、号して長老と曰う。西域の道高く臘長きを須菩提等と呼ぶ等の謂いが如くなり」(『禅門規式』)というものであるが、要するに年齢よりも、仏道修行者としての境涯などを問われているのである。
よって、禅門に於いて「敬老」というのは、仏道修行の貴き様を敬うことになる。その前提を元に、以下の一節を参究していきたい。
雪峰いはく、老僧罪過。いはゆるは、あしくいひにける、といふにも、かくいふこともあれども、しかはこころうまじ。老僧、といふことは、屋裏の主人翁なり。いはゆる余事を参学せず、ひとへに老僧を参学するなり、千変万化あれども、神頭鬼面あれども、参学は、唯老僧一著なり、仏来祖来、一念万年あれども、参学は唯老僧一著なり。罪過は、住持事繁なり。おもへばそれ、雪峰は徳山の一角なり、三聖は臨済の神足なり。両位の尊宿、おなじく系譜いやしからず、青原の遠孫なり、南岳の遠派なり。古鏡を住持しきたれる、それかくのごとし。晩進の亀鏡なるべし。
道元禅師『正法眼蔵』「古鏡」巻
まず、この一節であるが、以下の一則を元に提唱されている。
師曰く、遮の畜生一人の背、一面の古鏡、山僧の稲禾を摘む。
僧曰く、曠劫に名無し、什麼と為てか彰れて古鏡と為らん。
師曰く、瑕生なり。
僧曰く、什麼の死急有り、話端、也た不識。
師曰く、老僧罪過。
『景徳伝灯録』巻16「雪峰義存禅師」章
この「古鏡」巻の一節はとても珍しく、本則を引かずに、ただ上記一則を引いて提唱をされているのが特徴である。「現成公案」巻などにも見られるが、同巻では本則をただ仮名にしただけだが、こちらはその語句に対して提唱されている。こういうのは、結構珍しい。
それで、道元禅師の文章として引用したのは、この最後の雪峰義存禅師自身が仰った「老僧罪過」の部分への提唱である。道元禅師の提唱内容は、「老僧罪過」について、普通は自分のことを悪く言ったということもあるのだが、そのようには心得るべきではない、としている。そして、「老僧」というのは、「屋裏の主人翁」であるとしている。つまり、堂奥の主人たる翁であり、仏法の奥義を究めた長老を意味する。
道元禅師は老僧というのは、「他のこと(余事)」を参学しないとしつつ、ただ、老僧そのものを参学するという。その過程には千変万化があるかもしれないし、神や鬼の顔をしているかもしれないが、参学するときには、ただ老僧そのものの一語を学ぶという。仏祖が来たること、一念が万年という無限の時間になるように、時間的な限定は突破しているけれども、参学とはただ老僧の一語なのである。
その時、雪峰禅師が仰った「罪過」とは、住持としての多忙ぶりであるという。要するに、本来は老僧としての一語を学び、先に挙げた問答を行うべきが、住職として多忙であるが故に、それが出来なかったことを「罪過」だとしている、という風に道元禅師は提唱された。
その後の言葉について、道元禅師は雪峰禅師のことを思いながら、徳山宣鑑禅師の法系(実際には弟子)であるとしつつ、よって、青原行思禅師の遠孫であると評した。良く知られていることだが、道元禅師は徳山宣鑑禅師を評価しておらず、特に『正法眼蔵』「心不可得」巻などでは、婆子との問答について徳山を批判したのだが、「古鏡」巻では肯定している。
ところで、「古鏡を住持しきたれる、それかくのごとし。晩進の亀鏡なるべし」という一節が非常に重要で、歴代の仏祖とは古鏡を住持したのである。古鏡とは仏法そのものである。「古」とあるが、これは「古」から変わらず、ということである。つまりは、時間的変化を超越している、普遍的仏法を示している。よって、晩進の亀鏡なのである。古鏡と亀鏡とは懸けた表現である。亀鏡とは、龜も鏡も占いの道具であって、真実を示すものである。つまり、古鏡とは真実なのである。そのため、若い者=晩進は学ばねばならない。
今日という敬老の日、ただ老いたる人を敬うのも良いが、仏道に長じた人を敬うという意味での敬老も良いのではなかろうか。
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