当方からいわせれば、「智慧」だろうと何だろうと、それを1つの基準として「選択」することが、「信念」というべきものであり、それが結局は「崇拝」に至るのであるから、同じことだと見なした。
ところで、原始仏典について完全に「門外漢」である拙僧としては、この「四大教示」が気になった。で、手元にあった中村元『仏教語大辞典』を引いてみたら、「四大教示」という項目はなかったものの、「四大教法」というのはあった。内容を読んだところ、まぁ、これが妥当するかと思われたので、今日はそれを見て行きたいと思う。なお、『仏教語大辞典』では、以下のように定義している。
①仏滅後、正しい教えを守るための四つの場合。
(1)ブッダの(直接の)言として新しい事がらを、
(2)僧団の(直接の)言として新しい事がらを、
(3)長老の(直接の)言として新しい事がらを
(4)達人の(直接の)言として新しい事がらを、言い出す者があれば、喜ばずきらわずに聞き、これを経と律とに照して明らかにし、相違すれば捨てるべきこと。
なお、この説示の出典は、『長阿含経』(『大正蔵』巻1-17c)としているようだ。その確認は後に回すとして、この項目のみを見て内容を判断すると、もう既に、「一定の教説」が、「経」と「律」によって定められた後の時代の話だと分かる。その上で、「新たな教え」を言い出した者がいた場合に、その内容を「一定の教説」に照らし、矛盾がないかを確認した上で、もし問題があれば捨てるべきであるという。この辺から、原始仏教というのは、保守的な考え方であると理解できる。無論、様々に展開する教説の中、依るべき基準を定めたいというのは、教祖たる釈尊の入滅によって遺された者にとって常に重要な懸案事項であるから、こういう「教法」が出て来てもおかしくはない。そして、上記引用文に集約された、元の文章(かなり長い)を見てみると、結局この「四大教法」のただの説明であるからここでは見ない。
なお、この内容は、後に中国にて、『出三蔵記集』が著された際に、「新集疑経偽撰雑録」でも部分的に引用されているため、インドから中国にもたらされたことが分かる。中国以東でも、経典の判別基準に使われたっていう話なのだろうか?良く知らないが・・・
先ほども述べたように、ここの「四大教法」を、様々なテキストの基準に据える限り、「仏教」が保守的である事実は否めない。ところが、この段階で、1つの疑問がある。それは、先の辞書の記述にあるが、もし、「新しい事柄」がいわれたとしても、それが新しいからと嫌うのではなく、まずは聞いて、それを「経」と「律」に照らして内容を調べ、その結果、その2つに反していなければ、受容するという話なのだろう。
ところが、その「経」と「律」が正しくなかったらどうするのだろうか?
日本という辺境に住んでいるからか、当方はそれが気になってしまう。自分達が持っているそれらのテキストが、何故正しく仏陀の言説の成否を判断する基準になるといえるのだろうか。そこには、やはり「伝統」があるといえるのだと思うのだが、しかしながら、「伝統」自体が成否を判断する基準になるといえるのは、その「伝統」を受容した者に限られてしまう。つまり、この「四大教法」は、逆に仏教が、努めて「信念」を持って、そのテキストを信じる構成メンバーに入るっていうことを条件にしてしまうように思うのである。
『南伝大蔵経』だって、あれはある時期に、それとして編集されたテキスト群の翻訳であって、もしかすると、その時に排除されてしまったテキストの中に、重要な教示があったかもしれない。それから、仏陀の教えが、なるほど死後に「結集」されて、そこから経や律が出て来たとはいえ、仏陀が生前に話した内容を別に伝道しながら、仏陀より先に亡くなった阿羅漢が伝えていた教えは、その「結集」には入っていないのだろうから、もしかすると、今の仏陀直説といわれるテキストには、欠損があるかもしれない。
これは、決してあり得ない話ではない。
その後、それこそ日本に仏教が伝来した後の、僅かここ1000年くらいだけだって、書名しか残っていなかったり、部分引用されたテキストだけで、その全体像が知られない文献や語録など幾つもある。それを、2500年前のインドが、同じ状況でなかったと誰が断言できようか?よって、拙僧がいいたいのは、「これこそ仏陀の直説」とかいう安易な断定は切に誡めるべきだということだ。その意味では、「真の教え」など、その人がそう思っているに過ぎないと喝破した、南北朝期の臨済僧、夢窓国師の方がよほど「倫理的」だといえる。
よって、「四大教法」には、改めて「これは信じている人だけにとっての真理です」という「一文」でもつけ加えておいた方が良いといえる。まぁ、このこと自体が「経」と「律」に載っていなければ、却けられて終わるのだろうけど、言葉で上滑りして、その内容を吟味しないような「四大教法」なら、捨てても良さそうだ・・・
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