簡単に紹介してみたい。
・第六十六、晨朝に、普ねく十方面の一切法界の衆生の為に、菩薩戒を授く。願わくは三宝の威神を承けて、一一現前して、皆な親受を得んことを。
文章から考えると、毎日の朝に、十方の一切の法界に生きる衆生のために、菩薩戒を授けるという。当然に、これは理念的な話であると思われる。何故ならば、後半部分に於いて、三宝の優れた力を承けて、受けるべき対象の一々が現前して、親受して欲しいと願っているためである。
それに、そもそも、物理的に一切法界の衆生全ての菩薩戒を授けるのは不可能である。ウチの宗派でも、『甘露門』詠唱時に、「三摩耶戒」を一切衆生に授けるが、それみたいなものか・・・
・第九十八、常に四衆の与に、菩薩戒を授く。
こちらは、具体的な四衆なのであろう。要するに、機会があれば授けるべきだ、という理解をした。どこでどうなるか分からないが、常に授ける状況になっても、混乱しないように、ということなのだろう。
で、この2箇所が「授菩薩戒」なのだが、そういえば、延寿には『受菩薩戒儀』があることを思い出した。何か関係あることでも書いているかな?と思って調べてみたが、あれ?どこで見られるんだっけ?よく分からなかったので、とりあえず、先に挙げた一切法界の衆生の授戒について見ていくと、以下の一節を典拠にすべきだと書かれている。
仏・心と衆生と、是の三差別無し、以て、梵網経に云く、一切の心有る者は皆な応に仏戒を摂すべし。
つまり、前者は『華厳経』からの理念ではあるが、それと『梵網経』を会通させており、要は、一切の有心なる者は、仏と同じ存在なのだから、仏戒を受けるということをもって、先の一時を実施可能としていることになろう。
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