今回は、改めて資料などを検討してみたいと思い、記事にしている。今月はこれまで、臘八摂心などに因んだ記事ばかりだったので、今日は以下の記事を採り上げてみたい。
【六十】師来事
△十二月をしはすと云は何事ぞ、文字如何ん、
師走月と書てしはす月とよむ、又は師来月共も書く也。諸寺諸山の、師僧檀主の許へ年中の祈祷の巻数を捧て来る故也。月追の態なれば、いそがはしく走廻る心也。
『塵添壒嚢鈔』巻3、カナをかなにするなど見易く改める
この文章は、まさに「師走」とは何か?について指摘した文章である。しかし、十二月の和名・別名は多数あるというが、他の事柄が出て来た。一般的な「師走」だけでなく、「師来」という表現も指摘されている。果たして、これは他にも見られることなのだろうか?それはまた別に調べるとして、まずは上記の文章が何を述べているのか見ておきたい。
そこで、「諸寺諸山の、師僧檀主の許へ年中の祈祷の巻数を捧て来る故也」という理由が書いているが、これは、年内に檀家の家々を回って祈祷するから、「師来」という名前があるとしているのである。そして、ここから展開して、「月追の態」とあるが、年内に終わらせないといけないので、必死に走るさまがあり、そこで「師走」になるという話をしているのである。
それにしても、12月というと、先の記事では「仏名懺悔」をしていたという印象が強いのだが、こちらの場合は、どのような経巻を持ってきて、どのように仏事をしていたのかな?とは思う。
もう少し、膨らましようがあるのかな?と思っていたが、「師来月」説が意外と見当たらなくて、今日の記事はここまでだったりする。
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