つらつら日暮らし

『四分律』に於ける具足戒を受ける条件について

「律蔵」を見てみると、具足戒を受けて比丘になるための条件が明示されている。これは、いざ具足戒を受けると、出家となって、僧団に留まり修行することとなるためである。もし、本人が望まない状態、或いは、良く分かっていない状態で出家しても、トラブルばかりが起こるため、予め、具足戒を受ける条件を定めたのである。

 爾の時、眠人に受具足戒を与えること有り。覚め已りて家に還る。
 諸もろの比丘言わく、「止まれ、家に還ること莫れ、汝、已に具足戒を受く」。
 彼れ答えて言く、「我れ具足戒を受けず」。
 諸もろの比丘、往いて仏に白す。
 仏言わく、「眠者に具足戒を授けることを得ざれ」。
 爾の時、酔者に受具足戒を与えること有り、酒、解け已りて即ち家に還る。
 諸もろの比丘言わく、「汝、已に具足戒を受く、止まりて家に還ること莫れ」。
 答えて言わく、「我、具足戒を受けず」。
 仏言わく、「酔者に具足戒を授けることを得ざれ」。
 爾の時、狂者に具足戒を授け与えること有り。
 狂者、心を得已りて便ち家に還る。
 諸もろの比丘言わく、「汝、止りて去ること莫れ。汝、已に具足戒を受く」。
 答えて言わく、「我れ具足戒を受けず」。
 仏言わく、「狂者に具足戒を授け与えること莫れ。
 三種の人有りて、具足戒を受けることを得ず。眠・酔・狂、是れを三種不得授具足戒と謂う」。
    『四分律』巻35「受戒揵度之五」


以上である。なお、3番目の「狂」については、「混乱している人」という解釈となっている。その上で簡単に訳してみると、或る眠っている人がいて、その人に対して比丘達が具足戒を与えたという。しかし、眠っていた人は目覚めると、家に還ろうとした。それを比丘達が止めて、「そなたは既に具足戒を受けたので、家に還ってはならない」と述べた。しかし、その眠っていて目覚めた人は、「私は具足戒を受けていない」と主張した。

よって、比丘達はこの経緯を仏陀に申し上げると、仏陀は「眠っている者に、具足戒を与えてはならない」と述べた。

続いて、酒に酔っ払っている人に対して、やはり比丘達が具足戒を授けた。しかし、その人は酒による酔いが覚めると、家に還ろうとした。比丘達は、「そなたは既に具足戒を受けたので、ここに止まり、家に還ってはならない」と述べた。すると、酔いが覚めたその人は、「私は具足戒を受けていない」と主張した。

よって、比丘達はこの経緯を仏陀に申し上げると、仏陀は「酔っ払っている者に、具足戒を与えてはならない」と述べた。

続いて、混乱している人に具足戒を与えることがあった。しかし、その混乱している人が正気を取り戻すと、家に還ろうとした。比丘達は、「家に還っちゃダメ」と述べたが、その人は「具足戒を受けていない」と主張した。仏陀は「混乱している人に具足戒を授けてはならない」と述べた。もう、3番目は少し省略されがちである。元々略されて伝わったのか、訳出する際に略したのか分からないが、こういう辺りに、「もう分かってるでしょ」とでも言いたげな「律蔵」の文章があり、とても興味深い。

さて、そして、まとめとして、「眠・酔・狂」の三者については、「三種不得授具足戒」と称して、具足戒を授けてはならない者とした。それにしても、普通に考えて、この三者には最初から具足戒を授けたりしない気がする。何故ならば、授けようとしても、遮難などの尋問に答えるはずがなく、或いは具足戒ではなくて菩薩戒の授与だとしても、「能く持つや否や」と聞かれても、まともに答えるはずがないからである。

しかし、そう思うと、そもそもこんな一節が『四分律』の中に見えること自体に違和感を覚えるが、実際に存在したことなのかもしれない、とは考えている。それとも、比丘達の側に、「○○日まで、何人の比丘を増やせ」とかいうノルマでもあったのか?とか思ってしまった・・・

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