そこで、早速ではあるが、彼岸会について検討したいと思っている。ところで、今回紹介している『彼岸之弁』という文章なのだが、いよいよ彼岸期間中に天上界で何が行われているか、理解が進んできた。今日も読み進め、中世から近世にかけての彼岸に因む世界観を学んでみたい。
彼の天の須臾の間は下界の七日にあたる。故にせめて其の魔王が、状を納めらるヽ間でも、善を作す心を七日と定め、たのもしや。
又、人間五十年を以て下天の昼夜に当るとあれば、上天の夜魔王都卒天は人間の四百年を以て一日一夜とあれば、彼の諸天善神の一須臾の間、寄集りて衆生の善悪に業を三復八校し玉ふ為なりとも、悪を断じ善を修せよと定め勧善懲悪の道を教示せられしは、仏世尊を始、龍樹菩薩及び善導大師并和朝聖徳太子の貴訓あれば、如是に島々遠国のはて迄も、彼岸中は別て仏法の大意を何の宗旨にても、勤めつとむる事也。
皆、全く是如来の御恩徳ならずや。
『志妄想分別集』3丁表、カナをかなにし、漢字も現在通用のものに改めるなど見やすくしている
ここで、「彼の天の」といっているのは、都卒天のことである。「須臾」というのは、僅かな時間の意味であり、それが我々が通常生きているこの世界では、7日間に該当するという。そこで、前回紹介したように、天界では、我々の行いの善悪について、閻魔大王から諸天を歴て、最終的に決済されるけれども、その決済までの間に、「彼岸の七日間」を善を行うものと定め、書き換えて貰おうという話になるのである。
なるほど、「中陽院」だけは、彼岸会と直接関わる形で我々に善行を促していたが、他はよく分からなかった。しかし、ここで繋がったことになる。つまり、彼岸会の七日間というのは、我々が善行をやり直す、そういう期間に位置付けられるということだ。もし、それが出来ていない場合には、結局通常の悪行が記録され、閻魔大王の前では冷や汗をかくことになるということだ。
そして、本論では、人間は寿命が50年程度であるが、都卒天は人間世界の400年が一日一夜であるから、時間の経過が全く違うことになる。そのズレの間に彼岸会を位置付けて、勧善懲悪の道を教えてくれたのが、釈尊に龍樹に善導大師に聖徳太子だったのだ、と主張しているが、その内容は昨日までの記事でご確認いただければ良いかと思う。
現代では、世界観が平板になってしまったが故に、通じなくなってしまった上記内容ではあるが、かつての僧侶が、如何にして人々に善行を勧めていたか、その一端を知ることが出来る内容であった。
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