師、次に為に縵條・僧脚崎及び下裙等、并に鉢・濾羅を弁じ、方に為に僧に白して出家の事を陳ぶ。
僧衆、許し已りて、為に阿遮利耶を請す。屏処に於いて頭を剃る人をして為に鬚髮を除かしむるべし。方に寒温に適して其をして洗浴せしむ。
師、乃ち為に下裙を著く。方便して非黄門等と検察す。
次に、与に上衣を頂戴し受けしむ。法衣を著け已れば、鉢器を授与し、是れを出家と名づく。
次に本師の前に、阿遮利耶、十学処を授与す。或る時は闇誦し、或いは読文すべし。既に受戒し已れば、室羅末尼羅〈訳して求寂と為す、言わば、涅槃円寂の処に求め趣かんと欲す。旧に云く、沙弥とは、言略にして、音訛なり。翻ずれば息慈と作す、意を准じて拠無きなり〉と名づく。
『南海寄帰伝』巻3・1丁表~裏、原漢文、段落等は当方で付す
上記内容は、出家者にしていく儀式である。よって師匠から、縵條・僧脚崎及び下裙を授けるというが、まず「縵條」というのはいわゆる縵依としての袈裟を指すといえよう。
それから、「僧脚崎」については、同じ義浄訳出の『根本説一切有部毘奈耶』巻8「断人命学処第三之三」を見ていくと、「或いは三衣を以て、或いは二裙を以て、或いは僧脚崎、或いは漉水羅、或いは鉢腰絛なり」などとしており、僧侶が身に着けるべき衣服として名前が挙がっている。また、そもそも『南海寄帰伝』でも、巻2「十衣食所須」において、「十三資具」中に「七僧脚崎〈掩腋衣なり〉」としている。よって、やはり下裙とともに下着類の一種だったことが分かる。
また、鉢は鉢盂(応量器)のことであり、濾羅については、「漉水嚢」のことであるらしい。よって、厳密な意味では無いが、いわゆる「比丘六物」の多く(袈裟の位置付けが曖昧)を授けていることが分かる。
それから、師は他の僧衆に対して出家させたいという話を持って行き、他の僧衆が許せば、この出家希望者のために「阿遮利耶」を請す。これは一般的な表記では「阿闍梨」のことである。それから、頭を剃る役目の人にお願いして、この者の頭髪やヒゲなどを剃る。そして、その時期の気温などを考えつつ、入浴させ、身体を清浄にさせる。
入浴が終わってから、師が出家希望者に下裙(はかまのようなもの)を履かせるのだが、その際に、性器の形状などを確認する。これは本来、声聞戒の授戒で比丘になる時に尋問者(教授阿闍梨)が行うものだが、こちらは沙弥戒の授与であると思われるので、比丘になる前の段階で師によっても確認されることになるだろう。なお、仏教はこの意味で、性の問題については保守的である。男性か女性かという区別が明確化されたのである。それで、男性は男性、女性は女性で僧伽を作り、分かれて修行するのである。
さて、続いて、上衣・法衣を着け、鉢器を授与し、ここで出家と名付けるという。つまり、少なくとも義浄は、出家については剃髪し姿を改めた段階で定めていることが分かる。
それから、本師の前に、阿闍梨が「十学処」を授与するという。これは、「沙弥十戒」のことである。授ける場合に、暗誦で授ける場合もあれば、読文といって、戒本が書かれた文書を読む場合もあったようである。そして、十戒を授与されれば、出家希望者は「室羅末尼羅」になるというが、これは「シツラマニラ」と読み、いわゆる「シュラマナ(沙弥の語源)」と同じであろう。
なお、「沙弥」に関する割注は、かなり参考になる。義浄や玄奘三蔵は音写する場合には、かなり厳密に音を表現したことで知られるが、この「室羅末尼羅」と「沙弥」との相違について、「音訛」だとしている。義浄によるこれらの指摘は、インドの言葉を訳すに当たり、音をどのように残すかという点で、革命的だったのである。
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