つらつら日暮らし

第二十三条・教化条(『僧尼令』を学ぶ・23)

連載は23回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に当方による解説を付してみたい。なお、『令義解』の江戸期版本(塙保己一校訂本・寛政12年[1800]刊行、全10巻で『僧尼令』は巻2に所収)も参照していきたい。

 凡そ僧尼等、俗人をして其の経像を付けしめ、門を歴て教化せしむる者、百日苦使。
 其れ俗人は、律に依りて論ぜよ。
    『令義解』13丁裏を参照、原漢文、当方にて段落を付す


さて、この一条は「教化条」と名付けられているが、良く読んでみると、僧尼本人ではなくて、その者の指示等に従って、俗人に教化させることの是非を問うたものとなっている。つまり、或る僧尼が、自分で用意した経巻や仏像などを俗人に与え(貸した?)、その者に家々を回らせて、人々に教えを伝えようとした場合、その僧尼は百日の苦使をしなくてはならないという。

かなり重い罪だったようである。実際、この時代の教化というのは、かなりの制限がなされていて、この場合は僧尼が俗人に指示などを行う場合だったが、別に、僧尼自身が教化をすること自体を認められていたわけでもない。『僧尼令』「第五条・非寺院条」では、既に建立されていた寺院の他に、道場などを建てたり、僧尼自身が寺院から出て教化すること全般を禁止している。

よって、今回紹介している条文は、僧尼自身で無ければ良い、という或る種の法の抜け穴のようなものを閉じる目的でもあったものかと思う。

そこで、今回は非常に簡単な条文であったが、註釈も簡単なので見ておこう。

謂わく、既に僧尼、俗人をして門を歴て教化せしめばと云へり、即ち明らけし、僧尼は是れ造意を為して、其れ俗人は、自ら従減一等の律に依りて、杖九十するに合するなり。
    『令義解』13丁裏~14丁表参照、原漢文


用語の感じからすると、この註釈の文章の方が難しかったりするのだが、しかし、意図は明らかだといえる。つまり、「既に僧尼、俗人をして門を歴て教化せしめばと云へり、即ち明らけし」とあるので、もう、これだけで分かっているだろう、ということになる。そして、僧尼は「造意」とあるので、この律令への違反を企て、俗人はその僧尼に従っただけなので、罪一等を減じて、杖で叩くだけになるという言い方をしている。

しかし、こういう状態であった律令制度を思うと、やはり、「知識結」を作って社会福祉の活動を行った行基菩薩という存在が、かなり際どいことをしていたのでは無いかと想像出来るとともに、その存在を体制側に採り入れて、自らの誓願を達成しようとした聖武天皇の慈慮もまた、趣深いものとなる。

【参考資料】
・井上・関・土田・青木各氏校注『日本思想大系3 律令』岩波書店・1976年
・『令義解』巻2・塙保己一校(全10巻)寛政12年(1800)本
・釈雲照補注『僧尼令』森江佐七・1882年

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