つらつら日暮らし

持律・持戒の人の五徳とは

端的に、【破戒と悪名流布について】の逆の記事である。とりあえず引用文を見てみよう。

  持律人に五つの功徳有り
戒品堅牢なり、
善く諸冤に勝つ、
衆中に決断して無畏なり、
若し疑悔有りとも能く開解す、
善く毘尼を持して正法をして久住せしむ、
 是れを五と為す。
    『四分律』巻59


まず、各項目の数字はここでは入っていないが、入れている文献もある。1つめは、持律人であれば、諸戒品を堅牢に持つという。堅牢というのが大事で、それは退転しないことである。2つめは、様々な「あだ」に勝つという。これは、他者からの疑いなどがあっても、持律者は切り抜けることをいう。3つめは、大衆の中でよくまとめて、無畏の状態にするという。4つめは、もし疑いや後悔があっても、それを解消するという。5つめは毘尼(律)を持ち、正法を久しく維持するという。

さて、このような5つの功徳を並べてみると、自他の問題を含んでおり、集団に於ける関係性の中でも機能していることが分かる。しかし、3つめなどは少しく分かりにくかった。だが、この功徳について、もう少し詳しく説いている文献があった。

  十誦律に云く、持律人に七つの功徳有り
一には能く仏の内蔵を持す。
二には能く善く諍を断つ。
三には戒を持つ。
四には外道の頂に住むに律を以てするが故に。
五には他に咨問せずして衆に戒を説き無畏なるが故に。
六には能く疑有りても断つが故に。
七には能く正法をして久住せしむるが故に。
    『釈氏要覧』巻上


それで、こちらは「七功徳」である。『十誦律』巻50にこの典拠が見られる。それで、分かりにくいのは、「四には外道の頂に住むに律を以てするが故に」だが、これは『十誦律』本文の方が見やすいと思う。「持戒を以ての故に外道の頂上に住すること在り」とあって、要するに持律・持戒は仏道以外の者に対して長じていることをいう。それから、「五には他に咨問せずして衆に戒を説き無畏なるが故に」とは、自ら良く戒律を把握しているが故に、畏れることが無いとしている。

そして、以上の内容から、「衆中に決断して無畏なり」については、大衆の中にいて、持戒をしているからこそ、正しい作法を決断するという意味になるだろう。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事