大科第二 諸もろの衆生、和合の念に住すべし、唱えて云うべし、
諸衆同じく和合海に入り、同一法性にして分別無し、
若し和合実相海に入れば、同く頓教一乗の味を嘗む。
『続浄土宗全書』巻15・74頁、訓読は原典に従いつつ当方
これが、「大科第二」であるので、2つ目の項目となる。そこで、タイトルにもしてみたが、「諸もろの衆生、和合の念に住すべし」とあるので、布薩に随喜した四衆に対し、「和合衆」になることを促したといえる。しかし、今回は「布薩」であるが、何故そこに「和合衆」であることが求められているのか。
すると律蔵を見てみると、以下の一節を見出した。
中間の布薩とは、比丘の布薩有りし時、若し僧、和合せざれば、一比丘、僧中に於いて唱えよ、「若しくは僧の和合の時、当に布薩を作すべし」。
『摩訶僧祇律』巻2
以上の通り、律蔵の中には、布薩成立の条件に「僧和合」を挙げる場合があると確認された。他にも、『五分律』『四分律』などでもほぼ同じようなことを述べているので、一種の決まりだったのだろう。
さて、それから、上記では伽陀を唱えているけれども、この典拠は不明である。おそらくは、この「布薩式」のために詠まれたものである。何故ならば、これは平仄が合っていない。中国で詠まれた場合、意味はもちろんのこと、平仄もしっかりと合うことが多い。よって、おそらくは日本で作られた伽陀なのである。
ただ、意味だけは採っておきたい。もろもろの衆生が同じ和合海に入れば、同一法性となり、分別は無い。もし、和合の実相海に入れば、全員が同じく直ちに仏陀となる一乗の味を嘗めたのである。「大科第三 灑水」に続く。個人的には、江戸期に多く作られた「布薩式」の註釈書なども見ておきたいが、それもかなり難しい記事になってしまうので、今回はまず「布薩式」の解明を期したい。
【参考資料】
・宗書保存会『続浄土宗全書』巻15、大正14年
・浄土布薩式(新編浄土宗大辞典web版)
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