夏四月丁卯朔辛卯(25日)に、漏剋を新台に置き、始めて時を候い鍾鼓を動かし打ち、始めて漏剋を用ゆ。此の漏剋とは、天皇、皇太子為りし時、始めて親しく製造する所なり、云々。
『日本書紀』巻27「天智天皇十年四月辛卯」条
この時の時計は、「漏刻(漏剋)」といって、水時計であった。なお、上記の記述の通りであれば、この漏刻は天智天皇がまだ、中大兄皇子(皇太子)だった頃に、自ら製造されたものであったという。エンジニア気質をお持ちだったということだろうか。なお、上記一節より1ヶ月ほど前には、「黄書造本実、水臬を献ず」ともあって、この「水臬」とは現在でいうところの「水準器(水はかり)」であったというから、この辺にも新技術導入に熱心だった御様子が理解出来よう。
また、「漏刻」に関する天智天皇の事績の日付は「天智天皇10年4月25日」なのだが、これをグレゴリオ暦に変換すると「671年6月10日」となるため、今日をもって「時の記念日」に充てたとされる。以前にも検討したことがあったが、道元禅師が開かれた当初の永平寺では、やはり「漏刻」を使用していた。
諸寺、漏刻を直歳司に置き、人工両人これを知らす。
『永平寺知事清規』 「直歳」項
ここに見るように、道元禅師は漏刻を直歳寮に置いて、漏刻担当の人工2人が、時刻を全山に知らせるように指示しておられる。なお、指示の方法は鐘や太鼓の音だったと思われる。ただ、これが夜間に鳴らす「更点」だったか?というと、それは分からない。「更点」の場合、「香盤」で時間を計っていたとも思われるためである。そもそも、夜間の時間を5更5点で分けるだけであるから、季節によっても長さが違うし、現代のような24時間を正確に計っていたわけでは無いし、それが期待されていたわけでも無い。
何を言いたいかといえば、時間とは現代ほどキチッとした事象では無いのである。さて、今日という日には、道元禅師『正法眼蔵』「有時」巻を学ぶ日としたいのだが、併せて法嗣である詮慧禅師と、更にその弟子となる経豪禅師によって編まれた最初の註釈書『正法眼蔵抄』「有時」篇も参照しておきたい。
我を排列しをきて尽界とせり、此尽界の頭頭物物を時時也と覰見すべし、
『正法眼蔵抄』「有時」篇の『正法眼蔵』本文
こちらは、注釈書に引用された『正法眼蔵』本文であるが、とても有名な一節ではある。要するに、「我」と「尽界」と「時」との関連性が明記されるところだが、先ほどもいったようにかつてはアナログな手段でもって、時間の長さなどを定めていた様子を見ると、どこか時間が客観的な基準だと思っている現代人とは異なる感覚だった可能性を見ていくべきだといえる。それが、この一節であって、漏刻や香盤、或いは日時計などを用いていたとしても、畢竟、時を知らせるのは担当の役目であって、その者からすれば、「我を排列」することで、尽界に時を知らせ、その時によって一切の事象が時ならしめられると納得出来る。それを踏まえると、以下の註釈の文章も、素直に入ってくる。
此我は仏法の我也、排列し置と云は、物をあまた取置たるやうには非ず、如文、只我が尽界なる所を、排列とは云なり、尽界の頭頭物物を時時也と覰見すべしとは、尽界と時とが、各別の法にあらざる所が如此いはるるなり、
『正法眼蔵抄』の註釈文
この『抄』では、しばしば「仏法の我」という記述が見られる。いわゆる道元禅師の文章に見える「我・吾・われ」などの単語がただの実体的な吾我だと勘違いされないような配慮といえる。よって、「我を排列」とある場合の「我」とは、吾我ではなくて、既に「仏法の我」である。この場合、時を定めるのは自己自身の「強為」ではなくて、「法の云為」として行われるため、このように示される。
また、「排列」というのは、物を取り置く様子ではないという。ただ、我が尽界であるところを指すとされるが、これはおそらく相当に大事なことを示しており、自己を取り巻く事象との間における機能として、「我」がその間に入り、一切の事象を事象ならしめることをいう。しかも、この「我」は「仏法の我」であるから、法の云為としての「我」が、事象を事象ならしめる時、それを「頭頭物物」が「時持」と窺われるのである。これは、「頭頭物物」と「時持」とが各別ではないことを示す。
この辺の「我」の機能について、もう少し別の文脈を見ておいた方が良い。
我を排列して我是をみるなり、自己の時なる道理、それ如此、
『正法眼蔵抄』の『正法眼蔵』本文
こちらも、『正法眼蔵』本文の引用なのだが、ここも、「我」と「排列」と「自己の時」という三者の関連性が語られていて、先ほどと同じ構図であることを示すのだが、こちらへの註釈は以下の通りである。
排列の様、如前云、尽界が尽界を見る程の道理なるべし、時が時を見る心地也、
『正法眼蔵抄』の註釈文
「排列」について、「尽界が尽界を見る程の道理」とされているが、これは、「有時」巻であれば「それ尽界をもて尽界を界尽するを、究尽するとはいふなり」という「究尽」の教えが示されており、こちらとの関係を見ていくべきであるが、おそらくは直接に典拠とされているのは「三界は、三界の所見のごとし。三界にあらざるものの所見は、三界を見不正なり」(「三界唯心」巻)である。この「三界は、三界の所見のごとし」を「尽界が尽界を見る」或いは「時が時を見る」と言い換えつつ、その三者の「領域的同一性」を示す。
そうなると、「排列」というのは、客観的・物理的な意味での空間を意味しているのではない。自己との関連を離れることの無い空間的広がりをもってある空間の自ずと広がるさまを「排列」としている。自己との関連を離れないため、さも「自己(吾我)」が決めているように見えるが、繰り返しになるがここは「仏法の我」として抑えなくてはならない。
その広がりの空間そのものが、更には「頭頭物物」でもあり「時持」でもあるから、この世界とは「有時」なのである。今日は簡単ではあるが「有時の始まり」を探ってみた。日本に於ける「時の始まり」が今日という「時の記念日」なのだから、ちょうど良かったのではなかろうか。まさに、応時応節である。
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