大科第十一 正受戒と云は、
戒に付て、三種の不同有、
一は一心本妙の戒、即ち色空兼ねて含むの大戒なり、是れ即ち後に釈するが如し、
二は相伝戒、即ち過去の諸仏より、今日現前の師に至るまで、代々断絶せず、相続連持の戒、是れなり、
三は発得現前功徳の戒、是れなり、
亦た相伝戒とは、曠劫より已来た、諸仏相続して絶えずと雖も、頓に記するに遑あらず、今略して十仏の相承を記するのみ、
第一最勝蓮華仏〈過去荘厳劫第九百九十五の尊〉
第二弗沙仏〈荘厳劫第九百九十六の尊〉
第三提舎仏〈荘厳劫第九百九十七の尊〉
第四毘婆尸仏〈荘厳劫第九百九十八の尊〉
第五尸棄仏〈荘厳劫第九百九十九の尊〉
第六毘舎浮仏〈荘厳劫第一千の尊〉
第七拘留孫仏〈現在忍賢劫第一の尊〉
第八拘那含牟尼仏〈忍賢劫第二の尊〉
第九迦葉仏〈忍賢劫第三の尊〉
第十釈迦牟尼仏〈忍賢劫第四の尊〉
『続浄土宗全書』巻15・79頁、訓読は原典に従いつつ拙僧
今回はここまでとしておく。なお、続いて釈尊からの伝承が示されているが次回以降としたい。
さて、まず「正受戒」の戒について、三種あるという。第一は「一心本妙戒」で、後に釈するというが、おそらくは次回の記事で見ていくところを指している。第二は「相伝戒」で、上記の通り諸仏が相続してきて絶えなかったとし、ここで「十仏の相承」を挙げている。
そこで気になったのだが、ここで出ている「十仏」とは、般若訳『大方広仏華厳経(いわゆる「四十華厳」)』巻16「入不思議解脱境界普賢行願品」に見える「仏種無尽三昧」で、「我れ此の三昧に入る時、其の次第に随いて此の世界の一切の諸仏、相続出現するを見る」とあって、その中で、先に挙げた十仏を「上首」としている。なお、字句の違いを元に見てみると、上記の典拠以外は該当しないので、間違いない。ただし、「過去荘厳劫」「現在忍賢劫」などへ当て嵌めてはいないので、それは別の文献からの影響である。
そして、その影響として第一に考えられるのが、禅宗系の灯史文献で、例えば『景徳伝灯録』などが過去七仏を「過去荘厳劫」「見在賢劫」に当て嵌めている。よって、元の『華厳経』の仏名に、禅宗の影響を加えたのかもしれない(ただし、「忍賢劫」という「忍」字が入った表現は典拠不明)。
それから、阿弥陀仏が全く出てこないというのも、浄土宗系の相伝としてはどうなのだろうか。問題にはならなかったのだろうか。その点、『浄土布薩広戒儀尽規』では、「〈考〉一本に阿弥陀仏を加えて十一尊と為す」とあって、写本によっては阿弥陀仏を加えていた事例を紹介しているが、そうなると、今度は荘厳劫・賢劫への挿入が難しくなる印象でもある。それに、『華厳経』と相違する。そういえば、これは『梵網経』系の伝承だとも言って良いのだろうか?!
註釈書を見ても、この辺は何も書かれていないので、続く文章などから判断したい。
【参考資料】
・宗書保存会『続浄土宗全書』巻15、大正14年
・浄土布薩式(新編浄土宗大辞典web版)
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