つらつら日暮らし

僧伽の結界と戒壇の関係について

タイトルの通りなのだが、少しく気になる文章を見付けたので、学んでみたい。

 第一、結解僧界法〈律に云わく、時に世、飢饉なり。余処の比丘、王舎城に集まる。僧房、皆な空なり、人の守護すること無し。開するに因りて、各おの本界を解き、通じて一界を結ぶ。後の時、豊足して、通を解し已りて還た小界を結ぶ。
 又、初縁の時、界内に別衆集まらずに受戒と為す。遂に界外に小界を結んで受くることを開き、名づけて戒壇と曰う。
 若し受戒し竟りて応に捨てるべきは、坊内に於いて受戒を作す。
 又、比丘と為る将に受戒の人、壇処に至りて、賊に遇いて剥かるるは、因みに坊内に於いて受戒場を作ることを聴す。
 応に先に僧坊の界を捨て、然る後に界戒場を結ぶ。相い内地を除くと唱え、更に僧坊界を結ぶ。此れ則ち先づ戒場を結び後に大界を結ぶ。先づ界外を結ぶは、是れ対して小界を結ぶこと難く、即ち是れ戒場に非ず。若し是ならば、何故に捨てさしめん。古今、皆な云う。
 五分に、初縁に戒場を界外に在りて安置するは、文に拠りて然らず。今、次第に依りて、其の二位有り。一には戒場、二には大界なり。今、且く此の依に依りて、結解の儀を具さにす〉。
    『弥沙塞羯磨本』「第二結解諸界法」


さて、「僧界」というのは、僧伽の結界のことである。僧伽というのは、現前僧伽と十方僧伽とあり、後者は比丘全体のことを指すのだが、前者はその当該地域の結界の僧伽を指す。それで、上記の記事は、僧界の結解の話と、受戒場所(戒壇)の結解についての話が書かれているのである。

まず、僧界の結解の話だが、ここを見ると、状況に合わせて結解が行われていることが分かる。ここで例示されているのは、世が飢饉だった時、他の地域の僧界を解いて、皆、王舎城(ラージャグリハ)に集まってきたというのである。他の地域の僧坊は空となり、誰も守る人も無かったという。その際、他の地域の僧界は皆、解いてしまい、全員が1箇所に集まって、それのみだったという。ただし、飢饉が終わると、後で結んだ一界(通界)を解いて、それぞれの地域に戻り、再度それぞれの地域の僧界を結んだという。

それから、「初縁」という言葉だが、中国で作られた註釈書には「今、初縁と云うは、乃ち二衆の受戒の初なるのみ」(霊芝元照『四分律行事鈔資持記』中一上)とあるので、比丘・比丘尼に対して行われた初めての受戒羯磨を意味しているのだろう。そして、その時には、僧界の中で、受戒のために特別に集められる比丘達を集めること無く、受戒したという。これは、受戒羯磨という儀式には、受戒を望む発心人に対し、授戒して良いかどうかを決める決議(白四羯磨)を行う。仏教教団の決義は、全員賛成が必要なのだが、そうなると重要な決議ほど、決まらない傾向にある。

特に、新たな比丘のメンバーを入れて良いかどうかを決める受戒時の白四羯磨であるので、実質的に機能させるために、後には「10人以上の比丘」による「白四羯磨」でこの受戒を認めて良いという話となった(決議内容に応じて、必要な比丘の数が違う)。それが、「遂に界外に小界を結んで受くることを開き、名づけて戒壇と曰う」の部分である。

そこで、後代、中国や日本では、或る程度恒常的に活用できるような、「戒壇」としての特別な僧界が設置された。つまり、戒壇の僧界は、他の僧界とは別に置かれ、そこだけが特別な場所であり、受戒羯磨を行う場合のみ、そこに10人の比丘が集まって発心人に対し授戒したのである。

また、上記一節では「坊内」での戒壇の設置について指摘されているが、これは、恒常的では無く、臨時的に設置される戒壇についての指摘だと思われる。つまり、一回授戒して捨てるのであれば、坊内に受戒場を作ることが許されるという。つまり、建物を結界に見立てるのだろう。

これが許される条件として、戒壇の周囲に盗賊などがいて、出家者が襲われる場合などは、坊内での受戒を認めるという。それから、坊内の戒壇と、僧界の戒壇との価値の上下だが、僧界の戒壇の方が上になるようで、やはり、坊内の戒壇は一時的だといえよう。それから、戒壇の僧界と、僧伽の僧界とでは、先に戒壇の僧界を結んでから、僧伽の僧界を結ぶという。これは、僧伽の僧界が大きな場所を取るので、先にそれを設置してしまうと、戒壇の僧界を作るのが難しいからだという。

よって、新たに僧界を設置する場合は、先に戒壇、後に僧伽という順番があるとしているのである。日本では、まず東大寺に鑑真和上によって戒壇が設置され、その後、東日本・西日本にもそれぞれ設置され、平安時代になると天台宗の比叡山に大乗戒壇が設置された。つまり、この4箇所が、比丘になるための機関だったわけだが、鎌倉時代以降は、各宗派で独自に行うようになっている。この時、以前から謎だったのだが、もしかすると、上記の一節などが参照されていたのかもしれない。つまり「坊内での臨時的な設置」である。

この辺は、まだまだ今後、丁寧に研究していかねばならないが、上記のような「坊内の戒壇」の設置についての用例を見付けたので、この辺を手掛かりに学んでいきたい。

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