つらつら日暮らし

一休禅師の名利心批判について

一休宗純禅師といえば、やはり当代の僧侶の名利心を批判したことで知られている。その批判は、ご自身の生き様を通して行った部分があるのだが、他にも偈頌などを通して批判したことがあった。

  参玄の僧の名利を戒む
 迷道の衆生劫外の愚、人人涙窮途を識らず、
 官に諛いて只だ願わくは佳名を発せんことを、真の菩提心一点も無し。
    『狂雲集』


以上である。簡単に訳していきたい。参玄というのは、悟り(玄)に参じて学ぶという意味だが、その者が実は名利心を持っていることを戒めたのが、この偈頌である。

迷いの道に生きる衆生は、永遠の時間愚かなままであり、人々の涙が窮まる道を識ることは無い、参玄している僧侶は、実は官僚にへつらって、ただ願っているのは自分の名前が売れることのみなのである。そして、そこには真の菩提心はただの一点すら無いのである、と詠まれている。

以前から、当方なども仏道はただ仏道のためだけに学ぶべきであり、菩提心はただ菩提心のために起こると教えられているので、菩提心を発し、仏道を学ぶことについて、名利のために行うというのは、にわかには信じたくないところではある。

とはいえ、他者に対して文句を言いすぎると、不説過戒に反したりするので、ここも戒めねばなるまい。あくまでも、自分自身は名利心を懐かないように努めたいだけだといえる。

今思えば、名利心を抑えるにはどうすれば良いのだろうか?名利心を起こすのは、自我が強いためである。よって、自我の執着を如何にして解除するかが問われるが、1つの行としては、やはり布施などがあるといえようか。この場合、布施というのは、近現代の日本で使われる、仏教の宗教的サービスへの対価の意味ではない。自らのものに執着しないという意味である。

ただし、物への執着が無くても、自我の執着が残る場合もある。その際にも解除していくべきだということになる。その解除の際には坐禅なども良さそうだが、ここも、名利心が起こる場合がある。やっぱり難しいな。

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