つらつら日暮らし

『菩薩戒文句』について

伝教大師最澄(766?~822)が中国留学の結果、持ち帰ることが出来た仏典関係の目録が『伝教大師将来目録』である(将来とは「持ち来たる」という意味)。それを読んでいくと、やはり、かなりの戒律関係の文献があったことが分かるのだが、少し気になる題名の著作があったので、見ておきたい。

菩薩戒文句 一巻

・・・この著作は初めて見た。それで、「○○文句」というと、天台宗関係の提唱録などに見ることが出来、それこそ、上記目録にも以下のような題名が見える。

妙法蓮華経文句疏 十巻 (智者大師出)
摩訶止観文句 二巻 (荊渓和尚撰)
学意三昧文句 一巻 (荊渓和尚撰)


他にも、『法華文句』に関する幾つかの文献があるようだが、それは割愛した。いや、見たことがあるのは最初の『法華文句』くらいで、後の2つは分からない。当方の勉強不足が際立つ話である。

ところで、上記の通り、天台宗系の「○○文句」は、その著者(提唱者)の名前が書かれているけれども、最初に挙げた『菩薩戒文句』は、著者の名前が分からない。ただし、おそらくは『梵網経』に関する註釈書なのかな?とは思う。そこで、改めて調べてみたら、以下の一節を見出した。

同(註・梵網経)経疏一巻〈明曠述録中、菩薩戒文句一巻在り、詳しく勘すべし〉
    「伝律録二」、永超集『東域伝灯目録』


さて、明曠という人は、生没年不詳ながら、8世紀くらいに活動した人であることは分かっている。そして、『天台菩薩戒疏』(全3巻)を著したことで知られているが、この人の述した文献の中に、『菩薩戒文句』があるという。とはいえ、これ以上のことは分からなかった。時代的に、伝教大師は明曠の著作を複数引用しているので、『菩薩戒文句』が明曠のものであったとしても矛盾は無い。なお、『顕戒論』には、明曠の著作が引用されている。一例のみ紹介しておきたい。

天台明曠師の疏に云わく、初めに次第等と言うは、若し先に小、後に大なれば、一切倶に開なり。若し先に大、後に小なれば、大に在れば則ち大なり、小に在れば則ち小なり。又、此の方、大小の出家、則ち分無し、亦た宜しく時処に於いて順ずべし。
    『顕戒論』、典拠は『天台菩薩戒疏』巻下


これは、菩薩に於ける罪の開遮を指摘した文章のようだが、それを出家と在家の問題に関連して論じるために引用されたことが分かる。つまり、伝教大師は、明曠の著作にも十分に学んだ上で、菩薩戒に関する自らの見解を組み立てていたことが理解出来よう。

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