つらつら日暮らし

御袈裟と三毒の関係について

とりあえず以下の一節をご覧いただきたい。

 彼の人教えて云わく、「此の三衣の名、唯だ仏法のみに有り、九十六種の外道に無き所なり。何ぞ敬らざることを得んや。
 故に坐具・尼師壇、塔の基有るが如きなり。汝、今、受戒すれば即ち五分の法身の基なり、良を以て五分、戒に由りて成る。若し坐具無く、而も汝の身坐せば、則ち五分の定慧、生に従う所無し、故に坐具、塔の基の如きなり。
 三衣は三毒を断つなり。五條下衣、貪身を断ずるなり、七條中衣、瞋口を断ずるなり、大衣上衣、痴心を断ずるなり」。
    南山道宣『関中創立戒壇図経』「戒壇受時儀軌第九」


この一節は、後代の文献でも引用されているようだが、やはり、御袈裟と三毒(煩悩)の関係を示すものなので、関心を持たれたのであろう。ここで書かれているのは、御袈裟への信仰と、御袈裟に関する或る種の譬えである。

御袈裟への信仰とは、ただ仏法のみにあるため、敬わないことがあってはならないとしている。仏教に於ける特徴だとしているのだが、実際のところはそれほど簡単な話ではない。ただし、良く仏教と比較されることが多いジャイナ教などは、開祖のマハーヴィーラは、全裸で布教していたとかされるので、やはり仏教のみか?

その後の譬えは面白い。

坐具(尼師壇)は、仏塔の基部だとしている。確かに、普段から坐る時や、礼拝時に地面に敷くものであるから、位置付けは基部である。それから、この坐具と同じ位置付けに、受戒がある。これも、法身(仏身)を得る前提であるという。よって、坐具と受戒が、その後の修行の前提なのである。

そして、三衣の話となる。三衣は、その大小から五条衣・七条衣・九条衣となるが、それぞれに貪瞋痴を断ずるという。これは、大きさと三毒のそれぞれの意味をもって組み合わせた感じではない。強いていえば、三衣と三毒という数の問題であろう。それにしても、ここで注目すべきは、貪瞋痴の三毒と身口意の三業を組み合わせていることだろう。

貪身・瞋口・痴心という組み合わせとなるが、どうも、他の文献を見てみると、この『戒壇図経』からの引用らしいので、道宣律師の創作であろうか?ただ、『大智度論』を見ていたら、「貪身・痴心」の組み合わせがあることは確認した。よって、もしかしたら、容易には見られないような文献に入っていたのかもしれない。

とはいえ、道宣律師も、他の人から教えてもらったこととしての記録なので、或る種の口伝というべきか。

ということで、簡単ではあるが、御袈裟と三毒の組み合わせについて見出したので、採り上げて検討してみた。

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