清の陳枚〈字は簡侯康暦年中の人〉が、時令事宜と云へる年中行事を、千葉芸閣〈天明年間の儒者〉が和解せし、年中吉事鑑と云ふ書に「是月純陰用事慎夫婦事」之の文を十月は陰気斗りの月ゆゑ、我邦では神なし月と云ふ。神とは陽気のことなり。陰気斗りにては悪しきゆゑ、祝ひて陽月とも云ふ。此月に陽気を動しては悪しきゆゑ、夫婦の房事を慎むべしと、こう解いてあるが、これが真の解説である。和訓に神なしと云ふから、神様が出雲へ集つてしまつて、座さぬと誤解したので、神をカミと読む上へから、間違つたのである。
それ陰陽の測られざる、之れを神と云ふ。又気の伸ぶる者を神と為す。又陽魂を神と為す。故に陽の気が去り無くなつて、陰斗りの月だと云ふことなので、尚房事を慎むべしとある上へから、自然結婚を忌むやうに謂ひ慣はしたのである。これ等は根底動かすことの出来ない、方位の吉凶とは違つて、年中行事の一説に過ぎないのだから、吉凶を鑑みる専門の方位術に依りて、吉月に当るならば、他の月と同じに用ゐても、決して害はないのである。
江湖の諸士よ、願はくば此の解に従ひ、従来の妄説に泥まず、方位の吉凶を明めて、正しき結婚をなせ。然らば福ひ雲の如くにして、一生の幸福を全うすることが出来るであらう。
明田川政文『男女不思議の相性』運命観測救災会・大正3年、76~77頁
以上である。結局、本書では「神無月」の「神」について、日本の「八百万の神」とは解釈しておらず、陰陽思想の「陽」であるとしている。それが、十月は偶数月でもあり、「陰気」ばかりであるという。よって、陽気としての神が無いから、「神無月」と表記したとしている。
また、【前回の記事】で十月の別名について色々と紹介している。上記記の説明だと「正陰月」は理解出来るが、「陽月」の理解が難しい。だが、本書では、「祝ひて」そのように表現するとしている。敢えて奉るということなのだろうが、これも説明としては、納得することが難しい。
機会があれば、十月の他の別名について、検討する必要を感じる。
それから、本書では『年中吉事鑑』の和訓に「神なし」というから、出雲の話が出ているというが、既に紹介している通り、鎌倉時代の『徒然草』で伊勢に集まる話が批判的に出てくるので、中国清代の文献の影響ではあるまい。むしろ、その傍証に援用されたというのが正しいと思う。
そして、本書では結婚については、陰陽思想では無くて、「方位術」でもって決断せよとはいうが、これは「神無月」の話と離れてしまうので、ここまでとしておきたい。「神無月」の説について、「神=陽気」で解釈する事例を紹介した。
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