つらつら日暮らし

第十七条・有私事条(『僧尼令』を学ぶ・17)

連載は17回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に拙僧なりの解説を付してみたい。なお、『令義解』の江戸期版本(塙保己一校訂本・寛政12年[1800]刊行、全10巻で『僧尼令』は巻2に所収)も合わせて見ていきたい。

 凡そ僧尼、私の事有りて訴訟して、官司に来たり詣でれば、権に俗形に依りて参事せよ。
 其れ佐官以上及び三綱、衆事若しくは功徳の為に、官司に詣でるべきは、並に床席を設けよ。
    『令義解』11丁裏を参照して、訓読は拙僧


ちょっと、思うところがあって、今回から訓読法は『令義解』に依拠してみたいと思う。江戸時代の読み方になってしまう可能性はあるが、その時代でどう読まれてきたかを探る方が、拙僧的に勉強になると思ったので、ご寛恕願いたい。

さて、この1条で気になることといえば、どこまでも「私の事」の指す意味であろう。それで、まだこのブログで記事にはしていないかもしれないが、拙僧はこの1条について、江戸時代に荻生徂徠が引用しているのを見たことがあった。以前、部分的には【江戸時代庶民の随筆が伝えた仏教の規範意識について】で引用したこともあるが、彼の『政談』では、「出家の公事に出るには、三衣を着けざる事、律の古法也」(岩波文庫本・326頁)としているのである。その内、上記一節を含む一段は何かの折に記事にしたいと思っているが、まずは紹介のみ。

そこで、幾つかの問題が残るが、まずは、「私の事」の意味である。本文を見ると、「俗形に依りて」とあるので、自身の世俗に於ける家族のことか、或いは、まだ在家であった時に関することで訴訟する場合を指すといえよう。それから、当時の訴訟制度についてであるが、この辺は律令制度の発展とともに整備されたことは分かったが、ここの一節が具体的に何を指すかは不明。

それから、床席という場所の意味についても気になった。ただし、この場合、寺の上役が色々な公務や功徳の為に官司に行くということであれば、これは「私事」ではあるまい。よって、そういう導師が着くための場所を「床席」として用意したのだろうとは推測できる。

思ったよりも、深まりが無い記事ではあるが、とりあえずは以上である。

【参考資料】
・井上・関・土田・青木各氏校注『日本思想大系3 律令』岩波書店・1976年
・『令義解』巻2・塙保己一校(全10巻)寛政12年(1800)本
・釈雲照補注『僧尼令』森江佐七・1882年

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