つらつら日暮らし

「三種の浄肉」に関するお話し

今日は11月29日で、「いい肉の日」らしいが、仏教では肉食を禁止した一面がある。これについて、江戸時代の洞門学僧・卍山道白禅師(1636~1715、加賀大乗寺27世)の語録(12・13巻)に「警誡」が収録されるが、「其十五」については当時の禅林で流行を見せていた「喫煙」について断固批判したものとなっているなど、様々な批判を見ることが可能である。これは、時代に合わせた『律』としての説示であった可能性もある。

そこで、今回は「警誡・其十六」が今日のテーマに関係しているため、見ておきたい。

 自鏡録を按ずるに、在家人復た酒を飲み肉を噉らう、是れ常に罪業、更に異事に非ず。猶お故に、世業を失せざる。出家人若し酒を飲み肉を噉らう。若しくは多く、若しくは少なし、皆な仏種を断ず。乃至、諸大徳僧尼当に此の事を知るべし。
 凡そ肉を食う、是れ魔境界、魔事を行う。心決定せず、多く留難有り。内外の衆魔共に相い嬈乱す。所以に行者、魚肉を思念し、酒は是れ魔醤。故に言うを待たず。
 凡そ肉を食い酒を嗜む者は、善神遠離し、内に正気無し。是の如くの人、法多く衰悩す。此れ、自鏡の照らす所、其の因果応報、形影分明なり。又た誰か間然すべきか。
 律中、三種の浄肉を開するは、権にして実に非ず。楞伽・央掘魔羅・涅槃等の経、断肉の義を明かすを見て、信受すべきなり。
 末法悪事の僧尼の輩、酒を飲み肉を噉い婬を行ず。却って之の見解を謂うに、世人を瞞ずる者、我れ之を奈何せざらんや。聖を去ること時遙かなり。暗に自ずから眉を攅むるのみ。
    卍山道白禅師「警誡」、『鷹峯卍山和尚広録』巻12所収、『曹洞宗全書』「語録二」巻・337頁上下段、訓読は拙僧


まず、『自鏡録』というのは、『釈門自鏡録』上下巻(8世紀初め頃の唐・懐信による著作、『大正蔵』巻51所収)のことで、仏教説話集として他の文献にもよく参照されたという。そこで、今回の場合は、『釈門自鏡録』下巻「飲噉非法録九」に収録された「梁高祖断酒肉文」のことを指している。同書では、9項目にわたって、「飲酒食肉」の問題を指摘している。その上で、「又た食肉は大慈種を断ず」とした。

そのことを、卍山禅師は在家人ですら罪業ではあるが、だからといって世間の仕事を失うわけではない、しかし、出家者が飲酒食肉を行えば、仏種を断ず、と示されたのであった。

そこで、卍山禅師が飲酒食肉の結果として起きる問題は、まずは「心決定せず」とあり、魔によって心が乱されるという。更に、善神が離れていき、正気を保つことも出来ず、法の潤いが衰滅するという。

また、そういうと、『律』の中には、「三種の浄肉」が説かれているが、これは「仮」の教えで、「真実」では無いと示し、むしろ『楞伽経』などの経典で、肉食を否定した見解をこそ信受すべきであるという。

ただし、末法の僧尼は酒も飲むし肉も食べるし、婬(性行為)も行うが、このような者達に対して、自分はどうすることも出来ないとしながら、眉を顰めるのみだというのである。

このような教えが示された経緯が気になるが、何らかの問題が認識されていたのであろう。また、この見解を聞いた同時代の僧侶が、どのように感じたのか、残念ながら両者とも、中々確認することは難しいが、いわゆる「古規復古」「禅戒復古」を成し遂げた卍山禅師が、その「外」にこれらの「警誡」を置いたことの意義を今後も考えていきたいと思う。

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