すると、「斎忌疏」という名称を持つ「疏」自体は発見できなかったが、類似する「疏」を見出したので、今日はそれを学んでみたい。
二月十五仏涅槃疏
伝灯白日無し、
長不夜の光明を開く、瞑に兮黄昏を作し、
本不常の代謝を見ては、其の法固応を与えり、
尓曷ぞ身の先之に徇るが故に花笑鴬啼に於けるが若し、
示に鐘残漏尽を以て、輪は再転を希ふ、
曽て吾が転輪を聞いて耶、道は当成に記す、
既に予が行道を見て矣、重ねて万字を摩す、
双べて輻文を挙して、諦観を垂尽の時に審して、
後至て忘言の頃に印して、紫金岌岌たり、
一丈六尺煙滅灰飛、明月朣朣たり、
八斛四斗珠回り玉転て地を登る、
以前は則ち嬰児の乳を失ふ預流たり、
以往は則ち逋客の家に迷て含識たり、
以還は言わずして喩し涅槃の岸に踞する、
既に始め鹿苑従り、終り跋提河に至と云う、
法華経に於て又曰く、常に鷲峰及び余の諸住処に住すと、之を擬すれば、則ち証を失す、
乃ち知る、尚お供を薦て野人の芹を效て、
夫れ羊を存して宗廟の朔を告ぐるに譬ふ、
臍を噬んで媿ずべし、礼を揆して宣と為す、
本師釈迦如来伏して願くは、信相の寿量の遐弗を思ことを愍して、
室中に宣演して優填の栴檀の惟肖ことを幻として眷し、
天上来帰に等しく僧祇を越て長く仏世の如くならん。
『北礀詩集』巻8、訓読は版本を参照した
だいたいの意味は、以下の通りである。
仏陀とは、夜の光明であり、無常の代謝から仏法の真実を見出している。仏陀の説法や遺した教えは、高く聳えている。仏陀の全身は火葬によって煙となって飛ぶが、それはかえって明月となった。火葬によって得られた舎利の量は八斛四斗もあったが、それは全世界にて廻っている。結果として、涅槃の岸に仏陀は坐っているというが、鹿野苑からクシナガラまで説法し、『妙法蓮華経』「如来寿量品」に見るように、霊鷲山や他の場所に常在している。
よって、供養を行うが、それは「告朔餼羊」の如くである。
末尾には本師釈迦如来への願いとして、優填王が作った等身大の釈尊像(これは、日本にも来て、いわゆる清涼寺式釈尊像となった)のように、在世時のように教えを説いて欲しいとしている。
うん。とても難しいので、拙僧の能力では完全に読み解くことは無理。しかし、これを紹介したこと自体で、釈尊涅槃会に因んだ学びとしたい。南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏。
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