つらつら日暮らし

栄西禅師が犯した罪は何だったのか?

『正法眼蔵随聞記』には、道元禅師が実際に栄西禅師に参じていたからこそ言及出来たであろう文脈が複数存在している。当方はそれを理由に、おそらく道元禅師は栄西禅師と相見し、参学していたと考えている。無論、従来の先行研究では、これらの文脈は全て、明全和尚などの栄西禅師門人から聞いたもの、という風に判断している場合もある。だが、当方は先行研究の根拠が、その当該著者の主観的雑感でしかないことに不満を抱いている。つまり、この辺、証明は出来ないのだ。

さておき、今回の記事では以下の一節を見ておきたい。

 示云、故僧正建仁寺に御せし時、独の貧人来て道て云、「我家貧にして絶煙及数日、夫婦子息両三人餓死しなんとす。慈悲をもて是を救ひ給へ」と云ふ。
 其時、房中に都て衣食財物等無りき。思慮をめぐらすに計略尽ぬ。時に薬師の仏像を造らんとて、光の料に打のべたる銅少分ありき。これを取て自打折て束円めて彼の貧客に与て云、「以是食物をかへて、餓を可塞」。彼俗悦で退出ぬ。
 門弟子等難じて云く、「正く是仏像の光なり。以て俗人に与、仏物己用の罪如何」。
 僧正答云、「実に然なり。但、仏意を思に、身肉手足分て衆生に可施。現に可餓死衆生には、直饒以全躰与とも仏意に可叶。また我この罪に依縦悪趣に可堕とも、ただ衆生餓を可救」云々。
 先達の心中のたけ、今の学人も可思、忘事なかれ。
    『正法眼蔵随聞記』巻3


この一節は何のことかといえば、栄西禅師が建仁寺におられた頃、経済的に困窮した俗人が来て、餓死してしまうので助けて欲しいと言ってきたのである。それに対して、栄西禅師は余剰物などが無かったため、薬師仏の像を造ろうと思って取っておいた銅を分けてあげたという。これについて、当時建仁寺にいた僧侶が、これは問題ではないか?と栄西禅師に迫り、その際に、「仏物己用の罪」ではないか?と糾弾したのであった。

当方も最初にこれを読んだ時には、これをそのまま承けていたのだが、よくよく考えてみると、「仏物己用の罪」とは何なのだろうか?と思った。そこで調べてみた。すると、該当すると思われる一節を見出したので、挙げておきたい。

仏、阿難に告ぐ、「若し仏現在すれば、仏に施す所の物、僧衆、応に知るべし。若し仏滅するの後、一切の信心にて仏に施す所の物、応に用いて仏の形像を造り、及び仏の衣を造り、七宝幡蓋、諸の香油を買い、宝花を以て仏を供養すべし。仏を供養するを除いて、余に用いることを得ず。用いる者、即ち仏の物を盗むの罪を犯す」。
    『大般涅槃経後分』巻上「遺教品」


『大般涅槃経後分』という経典(偽経の説あり)は、ちょっと扱いが難しいのだが、いわゆる大乗『大般涅槃経』では、実際の世尊入滅の場面が訳出されておらず、そのために、この『後分』をもって、それに充てたと考えられている。当方もこれまで、余り気付いていなかったのだが、一部は仏教に於ける『律』に関する教えが見られるようだ。そして、上記一節は、まさにそのような『律』的部分である。これは、大乗『大般涅槃経』自体が、「扶律談常」という4字でもってその特徴を捉えられるように、『律』或いは「菩薩戒」の要素を含むものである。そのため、『後分』に上記のような教えが入っていること自体は不思議ではないが、当方自身は注目したことがなかったので、今回驚いた、という話である。

そこで、内容からは、栄西禅師が犯した罪とは、まさに上記一節に該当することが明らかである。仏が滅した後の世界である平安時代末期・鎌倉時代初期(現代を含む)であれば、仏に対して施された物は、それを用いて、仏像などを造って仏を供養すべきであって、仏の供養以外に用いれば、「仏の物を盗むの罪」を犯すのである。これが、先に挙げた『随聞記』で言われた「仏物己用の罪」の本源であろう。

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