和尚、戒行円満し、道徳一世に高く、至る処に僧俗雲集す。経を講じて法を説き、虚日無し。其れ大元帥明王法を修して、国家鎮護を祷るなり。公侯縉紳妃嬪、皆粛然として崇拝せざること莫し。
其の剃度の弟子四百三十六人、菩薩戒を授ける者一万五千余人、結縁灌頂を授ける者実に三十万四千五十五人なり。
松尾耕三『河内名流伝(上巻)』明治27年、3丁裏
このようにあって、浄厳律師は真言律宗の中興者とも評されるように、まずは自身が戒行円満する人であったという。そのような清僧であったためか、人気が高く、行く所行く所、多くの僧俗が集まってきたという。その者のために経典を講義し、説法するなどして「虚日(休日)」が無かったという。
つまり、浄厳律師は熱心に衆生教化を行っていたが、更に菩薩戒を授けた者は15,000人を超えていたという。この人数については勿論、実証しようが無いところではあるが、江戸時代初期から中期くらいの人口が、1,800万人くらいだったということからすれば、現代の日本であれば9万人くらいに授けたような感覚か?
それで、問題はこの後で、浄厳律師にとって菩薩戒を授けること、受けることの意味がどう考えられていたのかが気になる。この方は著作も多いのだが、当方の目に付いたのは、文字通り「菩薩戒」について示された『菩薩戒諺註(内題は『梵網菩薩戒題諺註』とあるから、『梵網経』に係る内容である)』である。以下のような一節があった。
さて此菩提心を発すこと容易からざる故に菩薩戒を受る時、自心を制して菩提と衆生との広大の境界を縁じて、猛利の誓願を発起し、さて其上に菩薩戒を受るなり。四弘誓願、皆此時に発起すべし。
「第一菩提心の体弁する事」、『菩薩戒諺註』1丁表~裏、カナをかなにするなど表現を見易くした
菩薩戒を授受する意図は、ここに極まったと言って良い。要するに、菩提心を発すことは容易ではないから、菩薩戒を受ける時に、よく自らの心を制して、誓願を発した上で菩薩戒を受けるべきであるという。具体的には、四弘誓願となる。
つまり、自らの発心とは「自未得度先度他」であり、衆生に仏道の利益を感じていただくこととは、「自未得度先度他」の心を発させることであるという。何故これが「菩提心」に繋がるかといえば、菩提心とは仏道を求める心であり、大乗の菩薩だからこそ発すものであるが、しばしば退転することが知られている。
とはいえ、自分のために仏道を学ぶという時は、自分の都合で学びを止めてしまえる。一方で、一切衆生のためにという誓願を伴えば、自らが辛かろうと学びを続けざるを得ない。その点をよく考えるべきなのである。
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