其の食の甘美なるに六種の味有り、
一には苦、二には醋、三には甘、四には辛、五には鹹、六には淡なり。
復た三徳有り、
一には軽軟、二には浄潔、三には如法なり、是の如く等の種種の荘厳を作す。
『大般涅槃経』巻1「寿命品第一」
以上のように、「三徳六味」の原出典としては大乗『大般涅槃経』が知られているのだが、更に思想的に遡っていくと、阿含部や本縁部などにも、「良水」の性質として、「三徳六味」の部分的な内容が確認されるが、あくまでも部分である。そして、「良水」ではなくて、『大般涅槃経』以降は「食」になっているのも違いであり、中国に来ると明らかに「(食)三徳・六味」という流れになっていく。
食三徳
一には軽軟、二には浄潔、三には如法。
六味
甘、辛、鹹、苦、酸、淡。
『釈氏要覧』「中食」項
以上の通りである。それで、更に中国で僧侶としての食事作法(赴粥飯)が確立されていくと、この「三徳六味」が偈文の中に組み込まれたり、その偈文自体が問答に使われたりした。その一例として、以下の一節を紹介しておきたい。
如何なるか是れ随意説。
師云く、晨時に粥有り、斎時に飯有り。
如何なるか是れ随宜説。
師云く、三徳六味施仏及僧。
『雲門匡真禅師広録』巻上「対機三百二十則」
中国雲門宗の開祖に位置付けられた雲門文偃禅師(864~949)は、以上のような問答を残している。ここで、説法の中に、「随意」と「随宜」の違いがあることが分かるが、その違いを、禅林に於ける食事の問題と関連させていることが、特徴的である。まず、「随意」というのは、朝食は粥で、昼食は飯という違いがあるという。これは、時間に合わせて、出てくる食事が異なることを示し、それは、相手に合わせて説法を自由自在に変えることを暗に示していよう。
面白いのは、「随宜」の方で、それを「三徳六味施仏及僧」としている。これは、食事を施すことを「随宜」としているが、その食事の内容が「三徳六味」という優れた性質を持ち、それをもって、仏と僧に施している。なお、この「三徳六味施仏及僧」は、禅林に於ける食事作法で「施食の偈」として導入されたものである。一応、清規としては、1103年編集の『禅苑清規』に「斎に云く、三徳六味、施仏及僧、法界人天(別の清規では「人天」が「有情」になる)、普同供養」とある。
ただし、雲門禅師の語録に出ていることからすれば、『禅苑清規』の記録を待たずとも、禅林では用いられていたことを示す。ただし、もしかしたら、「三徳六味施仏及僧」の部分だけだったのかもしれない。「施仏及僧」は、布施の際に唱えられる定型句で、漢訳の仏典としては『妙法蓮華経』「序品第一」に見え、本縁部の経典などにも複数見られる。
などなど、今日は「三徳六味」という言葉を掘り下げて記事にしてみた。淡泊な味が多い印象の、禅林での食事ではあるが、実際には「三徳六味」という豊潤さの極致にある内容をもって施され、また、頂戴しているのである。
この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。
最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2016年
人気記事