つらつら日暮らし

「六念」について

瑩山紹瑾禅師(1264~1325)の文献を見ていたところ、以下の一節が気になった。

若し又た土縁・六念及び戒牒を帯びれば、具さに之を書副う。
    『瑩山清規』


さて、問題はこの「六念」についてである。それで、これについては、典拠はおそらく『禅苑清規』巻1「掛搭」項なのだろうと思われるが、同書では以下のように指摘されている。

今、本名度牒・六念・戒牒、共に三本を執りて、全く、使衙に赴いて呈験し、判公憑を欲す。
    『禅苑清規』巻1「判憑式」


これは、「掛搭」項中の「判憑式」という項目中にいわれていることで、「判憑式」というのは、中国で僧侶が州の境界を出て遊行する際の許可状(旅券)を申請する際の書式であるという。それで、僧侶が携帯するべき書類について、「度牒・六念・戒牒」があるというのだが、中国の唐代までは「度牒・戒牒」のみだったが、後に「六念」が加わったという(鏡島・佐藤・小坂著『訳註禅苑清規』曹洞宗宗務庁、40頁の註記を参照した)。

それで、その場合の「六念」というのは、例えば、『禅苑清規』中に「須らく六念上の戒臘資次に依りて安掛すべし」(『禅苑清規』巻10「百丈規縄頌」参照)にあることから、具体的には以下の様子であるという。

初念知日月
二念知食処
三念知夏臘
四念知衣鉢
五念同別食
六念身康羸


先ほど、『禅苑清規』巻10で指摘されていたのは、「三念知夏臘」に相当するため、「六念」とは、比丘たる者が熟知すべき事柄であることが理解出来よう。典拠は、『摩訶僧祇律大比丘戒本』や南山道宣『四分律刪繁補闕行事鈔』巻上之三などを挙げるべきなのだろう。ところで、『訳註禅苑清規』では、「六念は食時五観法を列記し、臨壇の諸大徳名を連署して戒壇所から交付された」(40頁)と指摘されているのだが、ここで、「六念五観」という繋がりで思うとき、以下の一節があったことを思い出した。

五観
一観物功多少(一には物の功の多少を観ぜよ)。
二観己徳厚薄(二には己の徳の厚薄を観ぜよ)。
三観良薬(三には良薬なることを観ぜよ)。
四観施主是善知識也(四には施主は是れ善知識なりと観ぜよ)。
五観為得道也(五には道を得んが為なることを観ぜよ)。


六念〈『普賢経』の文なり、又た別本の六念法有り〉
一仏
二法
三僧
四施
五戒
六天
    栄西禅師『出家大綱』


このように、栄西禅師が「六念五観」の繋がりが分かるように示された一節なのだが、これは、食事作法の一部として指摘されている。ただし、「六念」が、先に挙げたものと違っている。それで、当方自身、良く分からなかったのだが、栄西禅師も「別本の六念法」を指摘されるが、どうもその「別本」が、先に挙げたものを指すようである。そして、この辺を色々と探していたところ、以下の一節を見出した。

制教六念
一念知日月
二念知食処
三念知受戒時
四念知衣鉢有無
五念同別食
六念康羸


化教六念
一念仏
二念法
三念僧
四念戒
五念施
六念天
    『律宗新学名句』巻中


なるほど、制教と化教とで別の「六念」があると指摘されている。そして、『禅苑清規』では前者だと解釈され、栄西禅師は後者を用いたということになるようである。つまり、「六念」には2つあるが、どちらを当てはめるかは、その都度なのか?著者などの立場なのか?まだ分かっていないのだが、使い分けが行われていたことだけは理解出来よう。

よって、現物でも無ければ、瑩山禅師がどちらの「六念」を指摘していたのか、分からないというべきなのだろう(多分、「制教六念」の方だとは思うが……)。ちょっと中途半端な記事で申し訳ないが、拙僧自身、よく分からないことばかりなので、そのことを素直に申し上げて終えたい。

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