この件について、道元禅師は後に、以下のようにも表現されている。
われなにのさいはひありてか、遠方外国の種子なりといへども、掛搭をゆるさるるのみにあらず、ほしきままに堂奥に出入して、尊儀を礼拝し、法道をきく。愚暗なりといへども、むなしかるべからざる結良縁なり。
『正法眼蔵』「梅華」巻
現地で見聞された様子を伝えて、中国で生まれ、仏道を学んでいる者の中にも、如浄禅師の室内に入って教えを聞くことが出来ない者が沢山いたのに、道元禅師はどういう幸運か、それが許されたとしているのである。「ほしきままに」とある通りで、自分の望まれる時間に室内に入ることが出来たということになるだろう。
さて、その道元禅師が最初に尋ねた質問は、以下の通りであった。
道元、拝問す。
今、諸方に、教外別伝と称し、而も祖師西来の大意となすは、その意如何。
和尚示して云く。仏祖の大道、何ぞ内外に拘わらん。然るに、教外別伝を称するは、唯だ摩騰等が所伝の外に、祖師西来して、親しく震旦に到り、道を伝え業を授けたまいたり。故に教外別伝と云うのみなり。世界に二つの仏法あるべからず。祖師の未だ東土に来りたまわざりしときは、東土には行李のみ有って、而も未だ主有らざりき。祖師既に東土に到りたまいしは、譬えば民の王を得るが如し。当にその時、国土・国宝・国民は、皆な王に属すべきなり。
つまり、これは「教外別伝」に関する内容であることは、一目瞭然である。拙僧自身、今それを調べているところだが、日本の教宗(天台宗・真言宗・法相宗など)では、とかく禅宗を「教外別伝」だとする見解があったようで、それを根拠に禅宗批判を行う事例も複数存在していた。日蓮聖人などは、それを理由に禅宗批判をしたくらいである。
そこで、道元禅師と如浄禅師の問答の大意を示すと以下のようになる。
道元禅師は質問されるには、今あちこちで「教外別伝」と称して、それを達磨がインドから来た大意だとするが、それはどういうことか?と聞いた。
和尚(如浄禅師)が示していわれるには、仏祖の大道がどうして内外に拘ることがあろうか。「教外別伝」と称しているのは、ただ摩騰等(後漢の明帝・永平10年に洛陽・白馬寺にやって来たという迦葉摩騰・竺法蘭のこと)が経典を伝えたのと外に、祖師・達磨が西から来て、自ら中国に至り、仏道を伝え、人々に受業させたことに拠る。よって、教外別伝とはいうが、世界に2つの仏法があるわけではない。達磨が未だ中国に来ていないときには、中国には修行のみがあって、しかもその主がいないようなものであった。達磨が中国に来てからは、例えば、民が自分たちの王を得るようなものであった。まさにその時、国土も国宝も国民も、みな王に属するべきなのである。
以上である。重要なのは、「仏祖の大道には内外がない」という指摘と、「世界に2つの仏法があるわけではない」という部分である。道元禅師は後に、この教えを以下のように敷衍させた。
たとひ教外別伝の謬説を相伝すといふとも、なんぢいまだ内外をしらざれば、言理の符合あらざるなり。
仏正法眼蔵を単伝する仏祖、いかでか仏教を単伝せざらん。いはんや釈迦老漢、なにとしてか、仏家の家業にあるべからざらん教法を、施設することあらん。釈迦老漢、すでに単伝の教法をあらしめん、いづれの仏祖かなからしめん。このゆえに、上乗一心といふは、三乗十二分教これなり、大蔵・小蔵これなり。
『正法眼蔵』「仏教」巻
道元禅師は、教外別伝という「謬説(誤った説)」を相伝しているとしても、そこでいわれる「内外」を知ることがなければ、言葉と道理とが符合しないとしているのである。それでは、符合するとはどのようなことであろうか。道元禅師は、仏正法眼蔵を単伝する仏祖は、同じく仏教も単伝しているという。よって、禅宗で「上乗一心」によって教外別伝されているという指摘に対して、道元禅師は上乗一心こそが、三乗十二分教そのものだとしたのである。
いわば、教外別伝という時の、「外」「別」を批判し、内外・隔別のない無分別としての法=教を示されたのである。もしこれが如浄禅師参問の最初に示されたとすれば、道元禅師はその常識を揺さぶられたものと思われる。だからこそ、この参問には意味があったのだ。そして、後孫たる我々も、同じようにその教えを通して、正伝の仏法の道理を拝受出来ているのである。
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