大科第九に入壇受戒、
私に云く、普天の下、率土の上、王地に非ざること莫し、此の県何ぞ王地に非らん。然は、則尽大地、皆王地なり。普く国土、悉く仏土なり。其の中に此の地、何ぞ戒壇に非らん。是故に戒壇に登るの念に住し、衆生等く重んじて思ふべし。我等曠劫より已来、三界の中に流転して、未だ六道の衢を出でず。今日始て釈迦遺法の弟子の戒和上に逢値す、即ち如来の在世に同くして、悲喜交流し、涙を双袖に流し、前は父母の肉親より生じ、今は無漏の戒壇より生ず。是を名て比丘の二生と為す。即ち是、真の仏子なり。
『続浄土宗全書』巻15・78頁、訓読は原典に従いつつ拙僧
いわゆる「戒壇」に登る心構えを示した一章であると理解出来る。ただ、「私に云く」の前半が一体何を意味しているのか、何度も読んだが良く分からない。つまり、「王地(国王の持ち物)」であることを示すが、これは中世であればそういう観念であっても、或る意味当然かもしれない。だが、その上で、「普く国土、悉く仏土なり」と展開し、更には「其の中に此の地、何ぞ戒壇に非らん」とする「論の飛躍」が理解出来ないのである。
要するに、この土地は「王地」ではあるが、更に「仏土」でもあるから、戒壇になり得るという認識で良いのだろうか?歴史的には、日本や中国の場合、国家の許しがあって、初めて「戒壇」が設置されたはずである(鑑真和上来日時、筑前観世音寺での授戒は詳細不明)。例えば、伝教大師最澄が願っていたとされる「大乗戒壇」や、その後に三井寺も同様の戒壇設置を願った一件などである。
だが、鎌倉時代以降はその意味での「支配」が後退し、結果として各宗派は独自の授戒を行い、出家得度もまた許容(というか、関与されない)されている。本書のこの見解は、そういった状況を主張するものとして理解して良いのだろうか?少し後代の同宗派の各種註釈書には、そこまで踏み込んで検討したものはない。まぁ、拙僧の妄想で終わるかもしれないな。
さて、本章の後段は中々興味深い内容だ。まず、「今日始て釈迦遺法の弟子の戒和上に逢値す、即ち如来の在世に同くして」とあるように、戒師の地位を非常に高く設定している。ただ、だからこそ、授戒が成り立つともいえる。戒師側の資格などを定める上で、重要な一節であるといえる。更に、「前は父母の肉親より生じ、今は無漏の戒壇より生ず。是を名て比丘の二生と為す。即ち是、真の仏子なり」という末尾の文章も大事である。つまり、授戒を通して「在家から出家への生まれ変わり」の観念を持たせているといえ、これを「比丘の二生」としている。
つまり、仏子としての再誕こそが、入壇受戒なのである。
【参考資料】
・宗書保存会『続浄土宗全書』巻15、大正14年
・浄土布薩式(新編浄土宗大辞典web版)
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