まず、現今の作法の基準となる『昭和修訂曹洞宗行持軌範』(昭和63年)では、この件についての指摘が無い。併せて、近現代の授戒会作法の多大なる影響をもたらした、石川素童禅師御提唱『戒会指南記』(昭和7年)を拝読したが、おゆずりなどは出てこない。
もう一つ参照したのが、江戸時代末期の戒会作法を伝える『尸羅会中内口伝』だが、こちらについても、特に出てこない。ただし、記戒会作法書の中で、戒弟の服装などについて何も触れていないかといえば、以下の記述が散見される。
・一、着物も白無垢に限りません。洗濯着物でも只垢の無いものならば宜敷い。 『戒会指南記』96頁
・随分身体内外清浄に致べきことなり。清浄なる衣裳を着すべし。然し無理に新服を着用と云にはあらず。たとゑ洗濯衣裳にても唯垢つかすして清きをよしとす。男子は上下(※裃のこと)もしかるべし。腰物は無用なり。女子は頭の飾は一切無用なり。 『尸羅会中内口伝』20丁表
これらは、新しい着物で無くても良いという指摘に過ぎない。また、江戸時代の場合は、かみしもでも良いとしつつ、腰物(刀)は要らないという話をしているが、時代性を感じる。
それで、このように新しくなくても良いが、洗濯された着物でなければならないというのは、出典がある。『禅苑清規』巻1「受戒」項が古いのだが、それらを受けつつ、曹洞宗の古い時代の文献には、以下のように伝わっている。
次に当日、受者沐浴して清浄にして、新浄の衣を著く。或いは新しきもの無くんば、旧きものを浣濯しても亦た得たり。
『仏祖正伝菩薩戒作法』
或いは、『正法眼蔵』「受戒」巻もほぼ同じである。それで、この教えが元になり、とにかく授戒に対して洗濯された綺麗な衣裳で随喜すべきであるという考えが出てくる。
そこで問題は「おゆずり」である。この定義や機能については、以下のようなものが考えられている。
・経文や名号、陀羅尼、種子等を書いた帷子。
・死者に着せる死に衣裳。死者の罪業を滅し菩提を得る。
そうなると、今回、授戒に際して、これを身に着けることは、「罪業を滅し菩提を得る」ということなのかもしれない。無論、授戒会中には懺悔もあるけれども、それでも罪業を滅しておきたいという希望があるのかもしれない。或いは、仏道修行を旅だとして、その修行に赴く旅支度だという考えも出来る。
とはいえ、実際のところはよく分からないという話になってしまった。
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