仏殿を立てずに唯だ法堂のみを樹てるは、仏祖の親しく嘱し、当代に授けて尊と為すを表するなり。
『禅門規式』
『禅門規式』という文献は、唐代の百丈懐海禅師がどのような規範を確立したかを伝える文献だとされるが、以上の通り「仏殿」は否定的だけれども、「法堂」を構えていることが分かる。それは、道場の主たる当代の祖師こそが、「尊」だからであり、形ばかりの仏像に把われる必要が無いためである。だからこそ、「仏法僧」という時、「仏」よりも「法」を重視される。なお、「法堂」だが、『華厳経』に見える「普光法堂」との関連は、また何かの機会に考察したい。
其の闔院の大衆は、朝参夕聚し、長老、上堂・陞座すれば、主事・徒衆、雁立して聆を側つ。賓主、問酬して、宗要を激揚するは、法に依って住することを示すなり。
同上
このように、禅林では説法・問答を積極的に行うように説かれている。それがあってこそ初めて、法に依って住している禅僧の様子が確立されるのである。それでは、ここでいう「上堂・陞座」については、どうだろうか?現状、日本曹洞宗では、定例の上堂は行われていないため、余り意識されないかもしれないが、道元禅師の時代は、五日に一度行われた重要な儀式、文字通りの「法要」であった。上堂は、「法堂」の中央に安置された「法座」にて行われた。
上堂の法は、焼香侍者、隔宿に住持に、「和尚、来早上堂」と告げる。当日の粥前に再び、「和尚、粥後上堂」と告げて、上堂牌を掛く。粥後、僧堂の放参鐘をうたずに、坐参牌を掛けて、堂前の鳴版、巡版常の如し。大衆、搭袈裟、入堂面壁。時至りて、法堂に鼓鳴。
住持、威儀を具し、寝堂を出て椅に倚る。五侍、一時に問訊し、椅の左に側立す。侍香・侍状・侍客・侍湯・侍衣と列す。侍香、上位なり。
この鼓鳴のとき、僧堂の大衆は転身し、相い向いて坐す。
一会に諸寮の衆、法堂に上る。
二会に僧堂の衆、上る。このとき焼香侍者も上りて、法座の左に立ちて、大衆の集まるや否や、を窺う。
頭首は、首座・書記・知蔵・知客・知浴・知殿と左班し、
知事は、都寺・監寺・副寺・維那・典座・直歳と右班す。
法座に近きを上位とす。自余の頭首は、大衆の上に立つ。退院の老宿あれば、首座の上肩、二位ほどさけて、少し南に向いて立つ。施主あれば、知客、引きて知事の上肩の方に立たしむ。侍者、衆の集まり了るを見て、住持の前に帰り、揖請し出す。五侍、後に随う。
三会に住持、前門を入るとき、両序・大衆、一同に迎えて問訊す。五侍は、つづき入りて、法座の東に列立す。住持登座し、椅前に立つとき鼓を止む。
面山瑞方禅師『洞上僧堂清規行法鈔』巻四「上堂法」
上記内容は、道元禅師の時代の作法を、そのままなぞっているとは言えないけれども、しかし、明確な祖師信仰の結果としての内容である。
最後の行に、「住持登座」とあるけれども、それまでの説明で、法堂の法座を中心に法要が行われていたけれども、ここで住持が法座に登る様子が伝わる。面山禅師の『僧堂清規』では、法座上の禅床についての説明はないけれども、実際に住持は禅床に坐禅し、そのまま説法が行われる。だからこそ、住持による上堂は、自受用三昧に於いて行われるともいう。自受用三昧中にある説法とは、聞き手の機根に関わらず、あらゆる存在に通じる説法として行われる。だからこそ、当時の上堂は、翌日の請益、更にその翌日の入室という3日がかりで行われるべきものであったといって良い。
5日:上堂
6日:請益
7日:入室
10日:上堂
11日:請益
12日:入室
この3日を1つのパターンとして大衆への接化が行われていたというべきである。そういえば、請益について、次のような定義もある。
請益とて、師匠のいひし法文を、かさねて弟子にとかするいふ様に……
詮慧禅師『正法眼蔵聞書』「陀羅尼」篇
結局、「かさねて」弟子に説かれるのが、「請益」なのである。法の利益があるように、弟子が師匠に依頼し、その上で行われる。
諸方の玄学のなかに、所未決あるは、かならず師にしたがひて請益するに、雪峰和尚いはく、備頭陀にとふべし。
『正法眼蔵』「行持(下)」巻
このように、優れた善知識に請益することが、肝心なのである。しかし、それは全て仏法の働きである。
達磨眼睛を抉出しきたりて泥弾子につくりて打人するは、いまの人、これを参請請益・朝上朝参・打坐功夫とらいふなり。
『正法眼蔵』「眼睛」巻
このように、我々とは達磨(法であり祖師である)の眼をえぐって、泥団子とし、人とするのである。その人が、請益し、上堂に参じ、坐禅しているのである。
さて、話を元に戻すが、江戸時代の『洞上伽藍雑記』の「法堂」項を見てみると、「住持人の宗乗を挙揚する所なり」としている。宗乗とは、禅宗の悟りを具現化することをいう。それはつまり、仏法に親しむことであるから、学人にとって仏法に親しむ場所である。最近では、ただの読経する場所というイメージであるけれども、本来は説法と問答とが繰り返される場所なのであった。
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