弟子道場の衆等、曠劫よりこのかたすなはち今身に至り今日に至るまで、その中間において身口意業をほしいままにして一切の罪を造る。あるいは五戒・八戒・十戒・三帰戒・四不壊信戒・三業戒・十無尽戒・声聞戒・大乗戒および一切の威儀戒・四重・八戒等を破し、虚しく信施を食み、誹謗・邪見にして因果を識らず、学波若を断じ、十方仏を毀り、僧祇物を偸み、婬妷無道にして浄戒のもろもろの比丘尼、姉妹・親戚を逼掠して慚愧を知らず、所親を毀辱しもろもろの悪事を造る。
『法事讃』
それぞれの戒律を説明してみたい。
・五戒:在家五戒
・八戒:八斎戒
・十戒:沙弥十戒
・三帰戒:三帰戒というか、三帰依
・四不壊信戒……???
・三業戒……???
・十無尽戒:『梵網経』の十重禁戒
・声聞戒:比丘戒、具足戒
・大乗戒:菩薩戒
・威儀戒……???
・四重:四波羅夷だろうが、声聞戒系か、瑜伽戒系か不明
・八戒……あれ?八斎戒の繰り返し?
ということで、分からない戒も幾つかある。ただし、『法事讃』については、後の浄土教系の祖師方が註釈をしたりしているので、それらも参照すると理解出来るかもしれない……その前に、「三業戒」は、身口意の三業に因む戒なので、いわゆる「十善戒」のことであろう。問題は、「四不壊信戒」と「威儀戒」だな。
あれ?註釈に無い?なるほど、教学上、余り重大さが無い領域だったか。
この内、多分分かりやすいのは「威儀戒」で、そういえば、『菩薩瓔珞本業経』巻下「大衆受学品」に「是の故に、菩薩十重、八万威儀戒」とかいう表現があったことを覚えていたのだが、要するに、三千とも八万ともいわれる「威儀」が、他者に対して良い影響を与えることを「戒」としているのだろう。
そこで、問題の「四不壊信戒」だが、この表現は『法事讃』以外にあるのだろうか?そもそも「四不壊信」自体が、「仏法僧の三宝」に「戒」を加えたもので、自らの修行の成就をもたらす四者ということで、「四不壊信」という信仰の対象にしたのである。そうなると、いうまでもなく、「四不壊信」自体が既に「戒」を含むので、「四不壊信戒」という表現には、違和感を覚える。
しかし、以下の一節を見出した。
四に瓔珞経の受菩薩戒法は、前に三世三宝に礼〈三説す〉し、次に四不壊信を受く、帰依仏・帰依法・帰依僧・帰依戒〈三説す〉なり。次に十悪五逆等を懺悔〈三説す〉す。次に十重戒、犯者失四十二賢聖法を説く。能く持つや不やと問う〈能くす、と答う〉。然る後に三帰を結撮す。
天台智顗『菩薩戒義疏』巻上
ここで、『菩薩瓔珞本業経』の受菩薩戒法(巻下「大衆受学品」に見える)を略説しているが、その中で、礼拝の次に、「四不壊信」を受けるとしている。そして、懺悔し、十重・四十二軽戒を示しているのだが、こうなると、「四不壊信」自体が懺悔の前に表明する信仰となっていることが分かる。そして、これが受戒を成立させる要素として採り入れられているのである。
つまり、「四不壊信戒」とは、受戒を成立させるための信仰を示しているが、これを『法事讃』では戒の一として採り入れたのであろう。何となくではあるが、以上のようなことは分かった。
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