ところで、以前に【4月15日 夏安居(令和5年度版)】で書いたように、旧暦(太陰暦)の時代は4月15日結夏、7月15日解夏という日付が決まっていた印象を受け、しかも、江戸時代くらいまでの曹洞宗の清規類では、基本、この日付を踏襲している。しかし、明治5年に新暦に変わった時(具体的には、旧暦の明治5年12月3日⇒新暦の明治6年1月1日とした)に、様々な行持の日付を残した場合と、残さなかった場合とがある。
「夏安居」は、後者の日付であり、総じて以下のような指示が出ている。
夏安居は前安居を四月十五日結制七月十五日解制とし、
中安居を五月十五日結制八月十五日解制とし、
後安居を六月十五日結制九月十五日解制とす。
「結制安居法」、『新撰曹洞宗法規大全』宗制研究会・大正4年、82頁、段落は当方
以上のように並べてみると分かるのだが、要するに開始する時期によって、三期の夏安居が設定されている。現在では、ここでいう「中安居」が基本になっている印象ではあるが、しかし、他の日付でも行われることはあるし、更にはもっと他の期日で行われることもあるから、これはあくまでも目安である。
ところで、実は、「前安居」と「後安居」は律蔵にも見られるのである。
復た諸もろの比丘、安居すること有りて、賊難、王難、親里難有り。是を以て仏に白す。仏、言わく「応に避去して、余処にて安居すべし。二種の安居有り、前安居・後安居なり。若しくは事無ければ、応に前安居すべし。事有れば、後安居を聴す」。
『五分律』巻19「第三分之三安居法」
以上の通りなのだが、上記引用文でいう前安居・後安居は、時間的なそれなのかは分からないが、他の文献では時間的なそれを意味している。この場合も、もし様々な困難があった場合、遅らせて行っても良いという理解なのではないかと思う。ここから、「前安居・後安居」は理解出来た。
問題は、「中安居」である。
三種安居有り、前安居・中安居・後安居なり。
『四分律』巻58
これは、『四分律』の中でも、【「毘尼増一」の項目】であるから、律蔵の中でも数字で示される事象について示しているもので、よって、詳細な解説などが無い。とはいえ、ここで三種安居が示されたことから、中国以東の『四分律』関係の註釈書にこの項目が見られることとなった。
今、但だ夏に就いて、亦た三時有り。初め四月十六日、是れ前安居なり、十七日已去、五月十五日に至るを、中安居と名づく、五月十六日、後安居と名づく。故に律中、三種安居有り、謂わく、前・中・後なり。
南山道宣『四分律刪繁補闕行事鈔』巻1「安居策修篇第十一〈受曰法附〉」
これは、夏安居を始める時期によって、前・中・後の違いがあることを示す一文といえる。そして、おそらくは、冒頭で紹介した「結制安居法」はこの辺の違いを受けて示されたものなのではないかと思う。それで、少し冷静に考えてみると、もしかして「三種安居」という言葉で調べてみると、色々と分かるのではないか?と感じ、探ってみると、以下のような一節もあった。
一には四月十六日を前安居と為す、二には十七より五月十五に至るを中安居と為す、三には五月十六日を後安居と名づく。
『律宗新学名句』「三種安居法」
これはおそらく、南山道宣の見解を受けた一節だと思われるが、非常に端的に示している。この辺なども影響したのかな?とか思う。どちらにしても、三種安居は江戸時代までの宗門ではほとんど顧みられていなかったが、新暦になった関係で導入したものか。色々と調べたけれども、これ以上は良く分からなかった。
どちらにしても、今日から新暦の中安居である。
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