子登『真俗仏事編』巻5に収録されている「春秋彼岸仏事」という文章の続きを見ておきたいと思う。
〇第二説に曰く、提謂経并に浄土三昧経に、八王日に善を修する事出たり、然るに此の八王日今の彼岸の節あたれり、之に依て此の経を本拠とすと、
八王日とは彼の経云く、立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬・冬至と是を八王日と謂ふ、是れ天地の諸神陰陽交代する時なり、此の日に当れば、梵天・帝釈・鎮臣三十二人、司命・司録・閻魔大王・八王使者ことごとく出で四方を巡り見て、人民の善悪を行ずると校録す、地獄王も輔臣を出して罪あるものを記さしむ、
前斎日〈十五日なり〉と八王日とには過あれども福勝たる者には赦さる、
後斎日〈二十日なり〉に至ては、必ず其の犯罪及び其の人の名を録して其の寿を減じ、死日を剋む、地獄此の記録を承て即ち獄鬼を遣はす、而るに獄鬼、無慈悲にして死日未だ到らざるに、強て悪を造しめて死を催促すと云へり、
蒐る謂を以て一年の八王日には善を修せよと教へ玉ふ、
『真俗仏事編』巻5「雑記部」
以上が「第二説」である。ここでは、『提謂経』と『浄土(度)三昧経』を元に、「八王日」の説を展開している。なお、『浄土三昧経』はそれとして伝わっているが、『提謂経』は『法苑珠林』巻88からの引用である。その両方で、「八王日」という説、いわゆる「立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬・冬至」について指摘されていて、そこから、「春分・秋分」が見られることをいう。
そして、この日には梵天や帝釈などが、人々の善悪を記録するので、善行をすべき、という話となる。つまり、彼岸会でもって善行を勤める根拠となるわけである。
それから、上記の内容だと、「前斎日・後斎日」という話が出ているが、これはともに『浄土三昧経』が典拠であるけれども、おそらくは『法苑珠林』巻62に引かれた同経典も参照されている。ところで、「後斎日」に見える、「而るに獄鬼、無慈悲にして死日未だ到らざるに、強て悪を造しめて死を催促す」というのは恐い話である。地獄の鬼が、悪人を更なる悪の道に誘うことがあるそうで、その結果、悪事が重なり、死期が近付くという。
ただし、この「第二説」の結論として「蒐る謂を以て一年の八王日には善を修せよと教へ玉ふ」とあるが、上記の節をまとめると、八王日には善行を行え、という結論になるという。ただ、そうなると、彼岸会のみを指してはおらず、少し話がぼやける印象もある。最終的に『真俗仏事編』ではどういう結論になったのか?それは、お中日にでも見ておきたい。
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