戒師十種答法
一に言わく、能くす。
二に言わく、可なり。
三に言わく、是なり。
四に言わく、善く自ら修行せよ。
五に言わく、放逸せざれ。
六に言わく、善哉。
七に言わく、好し。
八に言わく、起て。
九に言わく、去れ。
十に言わく、依止を与う。
『律宗新学名句』
戒師による十種の答え方、ということなのだが、問題はこれをどの段階で用いるのか?ということである。そこで、中国成立の律宗文献を見ていくと、以下のような文脈が見られる。
四分に云く、答えて言く、爾るべし、(もしくは)汝に教授す、(もしくは)清浄にして放逸なること莫れ、と。弟子、答えて云く、頂戴し持つ。下文、更に十種の答法有り。
南山道宣『四分律刪繁補闕行事鈔』巻上之三「受戒縁集篇第八」
以上であり、やはり戒を授ける側が、受ける側(沙弥)へ答えるべき作法について論じたものだと分かるが、更に道宣が参照した『四分律』本文を見ておかなければならないと言えよう。だが、それ自体が結構長い文章なので、また機会を改めて見るとし、今は上記の十種の言葉を見ておきたい。
それで、上記の「戒師十種答法」であるが、道宣が述べているように、弟子に対して答える方法を示している。つまり、弟子が発心して、前向きな学びの希望を述べたときに、戒師として述べるべきことが「十種の答法」だといえるし、或いは、弟子が仏道への学びが退転しそうなときに述べることも含まれているように思う。
「一」については、「能くす」なので、能動的に行うことを示す。「二」と「三」、或いは「六」と「七」については、弟子の言動や行動などを認めるものといえる。「四」と「五」については、弟子のやる気を促し、修行に精進することを諭す内容である。そして、「八」と「九」は弟子に対して、新たな行動を促すものである。「十」は少し難しいが、要するに側に居ることを認める言葉であると言える。
こうなると、弟子に対して否定的な言葉が無いことが分かる。実は、今回、それを気付いてしまったので、記事にしようと思ったのである。仏教に於ける指導法は、まず弟子の肯定から始まるものという仮定なのだが、これは更なる文脈、それこそ、『四分律』などを学ぶことで、明らかにしていきたい。
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