典虚てん手古舞

我が為の日々の記録! 74歳

今日は何の日?

2007年05月19日 | 東アジアの片隅で 
 釜山から光州へ行ったのは、何年前だったろう?
 高速バスターミナルから、その町を訪ねた。友が紹介して
してくれた人もいたけれども、一人でその町を歩いた。
 光州は一泊二日で戻ったプサン滞在のときだった。

 確か一日目は、午後に到着したはずなので、光州事件の
記念館にまず寄った。つたない韓国語で、ここの職員の方と
話して、名刺も頂いた。帰りには、本を一冊頂戴した。
 
 もちろん宿は決まっていない。
 ホテルに飛込みで、交渉するのが常である。下手な言葉でも
それなりに通じる。

 翌日、マンウォルドンへは、タクシーで行った・・・。
 ここが刑務所のあったところだと、タクシーの運転手さんに
教えてもらった記憶が残っている。

 望月洞の墓地につくと、受け付けに二人の青年が座っていた。
光州事件の犠牲者が葬られている。

 記念館は、この受付の奥の方だったと思うが、展示をゆっくりと
みた。印象的だったのは、アボジの遺影を抱いて、行進している
少年の写真だった。まっ、有名な「写真」である。

 記念館から出で受付のところに戻り、墓地にお参りしたいという
と受付の青年が自動車で送ってくれた。

 土で盛られた墓の一つ一つには、遺影が添えられていた。
 みな、若い・・・。

 「5月18日とは?」と思い出せない私・・・。日本人だから
当然といってしまえば、それまでだけれども、しばらく前のこと、
「韓国人は、自殺しませんよ」と私に語った御仁がいた。
 韓国領事館のお偉いさんである。
 「憤死は自殺ではないですよね」と応えた。

 不合理に対しては、命がけで立ち向かう民族やなという印象が
私の「韓国人」や「在日」認識にある。
 負けん気、ツッパリ・・・・。
 パワーには圧倒されてきたなと思う。

 さて、光州の望月洞墓地から出てきたとき、受付の青年が出口の
休憩所にいた。
 彼は、あの写真の、アボジの遺影を抱いていた少年だったという。
 ビールとおでんをご馳走になった。

 光州への一人旅・・・・。
 私は、「一人旅」を十代の若い頃から、<自分の旅の仕方>として
選んできたが、この旅もそれでよかったと思った。

 基本的には、息子同伴を除いては、韓国へは「一人旅」がほとんどだ。
 

 
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