「ララミー牧場」は4chで木曜日、「幌馬車隊」は10ch
で日曜日だったと・・・と、微かに覚えているつもりの世代の私
である。「ローハイド」や「拳銃無宿」は、少し後の番組だった
ような気がする。
小学生の頃、もうジョン・ウェインの時代ではなかったが、
テレビジョンでは、何本もの「西部劇」が放映されていた。
「テレビジョン・エイジ」という雑誌があり、アメリカで
制作された番組の紹介記事があった・・・。これも小学生時代の
話である。
わたしは、ミニチュアのおもちゃの拳銃を買って集めては、
悦に行っていた。必死になって、拳銃やライフルの名前や形を
覚えては、喜んでいた・・・。
いちばん嬉しかったのは、いとこのハズバンドから、プレゼ
ントされた「コルト」の玩具だ。さすが、アメリカ製!!結構
重みがあって、「早撃ち」に夢中になった。
ああ、従姉といっても、ずっと年上で、GHQの占領時代に
アメリカ軍の軍人と結婚した。いつだったアメリカに夫と共に
モントレーに行った?帰った??
わぁっ!アメリカ人って、格好いいなぁ!と憧れた小学生の
わたしだった。
従姉夫婦がわたしの家にきたときはたいへんで、「椅子」を
近所の、Sさんから借りた。なお、Sさんのおじさんは、在日
朝鮮人である。
さて、幼い時のこのような体験を通じての「好み」というも
のは、理屈で<マイナス>の評価を持つようになっても、体の
どこかに染み付いているものである。
今日、知人宅を訪問して、「クーリエ・ジャポン」という雑
誌をみせてもらい、「へぇっ!こんな雑誌があったの?」とそ
の存在を知らなかった自分を恥じた。しかし、所詮、わたくし
は、学校のふつうの教員である・・・。
その知人宅からバックナンバーの「アメリカ」特集を貸して!
とお願いして、読んでいる。
★★★
今、こんな書き込みをした動機は、ウラン鉱山の近くのナホ
バの人たちが、放射能のために健康を害しているという記事を
読んだからです。
猿谷要さんはじめ、ネィテーブ・アメリカンの歴史や合衆国
の歴史も、そこそこ本を読み重ねてきました。
しかし、「雑誌」ってのは、違うなっ!とややショックあり
でした。そこから、今いろいろ考えはじめています・・・。
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