典虚てん手古舞

我が“為”の日々を振り返りつつも、逝き時を待つ日々を悔いなく一日一生

あの世とこの世を繋ぐ「9月5日」

2016年09月05日 | 〈雑記〉孫や子ども達、若い人と

 台風の雨を期待して、ごろごろ、家の中で中で過ごしてみたかったのだが、お空が許してはくれませんでした。朝飯、残っていたうどん90グラムで済ませ、薬を服用・・・。朝の情報番組ぐらいみなきゃ!やはり、朝刊は朝のうちに。目を通さねばと、大してゆっくりでもなく、かといってバタバタでもなく、過ごしました。

 家の外に出たのは、午前10時前のはず。母ハクトーバのディサービスのお迎えの車に出食わしました。ふだんなら、すでに園庭や公園で作業に入ってる時間ですわ。

 「あっ!」

 東の方から歩いて来る、お母さんと息子さんが・・・。

 「今日は命日なので」「9月5日でしたね」

 たった一人といっていい、私の小学生時代からの「友だち」の御家族でした。私の通う病院で出会ったり、健康状態が芳しくないことは承知しました。

 「ミニ同窓会しようや」と電話があり、お酒を嗜まない彼と呑兵衛の私が、二人が会ったのはいつだったか?もう、覚悟は済ませていた後の「最期」の語りあいでした。

 小学時代の思い出です、私の父の・・・。朝鮮人の僕らをあんなふうに扱って?接してくれてたんは、〇〇さんのお父さんだけやったが一番、印象に残る話でした。

 わたしは、正直なところ、ちょっと吃驚しました。

 さて、最近、昔の写真を整理しているうちに、母方の祖母テル失踪したらしい日が「9月5日」、或いはその前後らしく、日付入りの写真が1枚出現しました。だとすると、奇しくも、私の最後の自殺未遂の日と重なるのです。

 ウオッカの勢いを借りて、入水自殺をしようとして、うとうとしていた私の夢枕に立ったのです。 自分のことばかり考えているからいかんのやな。自分の母親テルと娘の私が、自らあの世へ行ったとしたら・・・。数日、放浪しました。腹の坐ったオヤジは、届など出さなんだ。

 高校2年秋の睡眠薬自殺も9月初旬で、あと10分発見が遅かったらでありました。牧野病院へ運び込まれて、目が覚めたとき、ベッドの端にに黒いゴムで手足が括られていました。もちろん、父も母も病院へは来ず、叔母(父の姉)が付き添った・・・。しかし、大学受験の「調査書」では、高校2年の欠席日数は「3日」になっています。ただし、「通知表」では「9日」で、欠席連絡では「食中毒」といい含められました。担任の先生には、ほんと、悪いことをしたなと今になって、申し訳ない思いです。

 さて、今日は昼食タイムを除いて、16時20分まで、園庭の作業をしました。「いちご」よ、苺の・・・。家に戻って、シャワーを浴びた後は、バターンキューで倒れるように眠り込んでしまい、目覚めたときは?

 うん?20時で、録画ではない『ジェネレーションウォー#3最終回』。その後、消して、午後10時から、初めて、『スマップ』の番組をみました。

 蒸し暑いです。2016 9-5 25:19

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