日本で、済州島四・三事件にかかわる〈集会〉が始まって20年を
越えた。初回は、1988年に東京の神田YMCAで、韓国政府から
の弾圧もある中での「追悼記念講演会」だったという。
この記録は、新幹社から『済州島「四・三事件」とは何か』が出版
されている。この〈40周年〉の集いにあわせて出版されたのが
ジョン・メリル著『済州島四三蜂起』で、文京スさんが翻訳した本だ。
わたしが大阪の四三の集会にはじめて参加したのは、1993、4
年だった。多くの在日一世の方々が健在で、この集会は、小難しそう
な顔をしたおじさん、おじいさんばかりが・・・がつどった暗くて、
重い雰囲気の会だったような・・・。
その主催者は「四三を考える会」、中心となって活動していた顔ぶれ
も今とは違う。
日本においても、韓国においても、「四・三事件」をめぐる状況は、
金大中さんが大統領になった政府からお金が出るようになって、
怖いほどの変化がおこった。
今回、上映された映像は、昨年度の日本から済州訪問団のようすが
紹介したものだ。
大阪からは、十数人のハルモ二たちが済州を訪れた。全費用が、政府
から出た・・・。
在日の事務局メンバーに加えて、この私めも、「招待」をうけて、
招請状を作成してもらい、入学式を有給休暇で休んで、済州へ行った。
車椅子のハルモ二もいらっしゃる・・・。デイハウスのスタッフも
ついてきてもらわねばならない。
招待をうけていていたけれども、活動にかかわったメンバーは、
航空運賃は自腹をきることとして、ハルモ二たちは全員自己負担なし
らもっていったのである。
ところが、二十人に近いハルモ二の中に、済州出身でもなく、また
「四・三」にはまったく関係のない人たちがいて、
「四三には関係ないけど、ただで旅行に連れてもらったぁ」と自慢げ
ら吹聴してまわったとか。
「なんで遺族のわたしが連れていってもらえず、無関係の人を連れ
ていったのや!」という訴えがあったと、この私の耳にも聞こえてき
た。
済州で行われた最初の慰霊祭、11年前だった。隔世の感がある。
そして・・・。
つづく
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