典虚てん手古舞

我が為の日々の記録! 74歳

自分流に和服を着る

2007年01月03日 | 東アジアの片隅で 
 まだ一度も訪れたひとのないおよめちゃんの実家に行く。わたしは、然して
構えていないが、同道する母、息子の祖母は何を着ていくか?緊張気味である。
外見を気にする人だからだ。

 正装を求められる場合は二部式の着物で間に合わせている。付け下げとか高
価なものをどんどん、二つに斬ってもらっている。母には和裁・洋裁の才があ
る。
 販売されている二部式とは違うところは、上着の裾を弄くっていないので、
帯さえつければ、普通の着物に見える。従って、格式みたいなものが求められ
る「場」には、帯をつける。だが、帯は窮屈だ・・・。

 今回も、母は帯を締めろというが、嫌だと答えた。

 わたしの二部式は、商品化され、和服店で並ぶ以前に、自分で考案したもの
である。自分の頭では、「和服」とか「着物」といった発想はない。
 単なる民族衣装と考えて、母の衣類をリフォームしてもらい、着用している
だけなのである。
 きっかけは、十年程前、韓国の改良民族服に触発されたことに始まる。某シ
ンポジウムで出会った韓国の大学教授の姿に、「ほぅっ!」と心が動いた。
 それまでも、韓国へは何度か旅行していたが、鬱陶しいことが一つあった。
下手だが、簡単な会話が出来る私に対して、「在日僑胞?」が返って来る言葉
である。それが嫌!なのではない。実際に、まったく違うから戸惑った。

 確か、光州だったが、「ウェノム!」という言葉を通りすがり酔っ払いから
投げかけから、一瞬、ハッとした経験もある。
 しかし、本音を聞くことはたいせつである。

 いつの頃からか、私は朝鮮や韓国に対して「理解のある良心的日本人」の立
場に自分を置きたくないと堅く考えるように変わった。

 そのころから、私は実家にある「箪笥のこやし」を引きずりだし、母にリフ
ォームを頼み、自分流の民族服を着るようになった。着る物にお金を遣いたく
ない私にとっては有り難かった。
 別れた夫の借金、息子の学費、実弟への(融資 ※いまだ返済なし!!、お
そらくは一千万円は下らないだろう・・・。私の借金が「ゼロ」になったのは、
数年前である。
 だから、収入はあっても、節約出来るところは抑えたい。ただし、何を節約
するかは生き方の問題に関わってくる。価値観次第ということだ。

 興味があり、それ相応の価値があると判断すれば一万円の定価でも、私は
その書籍を安いと私は思う。だが、衣類、ファッションとなるとがらりと金銭
感覚が違ってくる。
 これには、身にまとう物は、出来上がりを着用したことがないという事情も
ある。私の場合は、子どもの頃から「手作り」だった。

 自立してからも、布地だけは当然自分のマネーで購入するが、母が縫ってく
れる。パーティ用のドレスが要りようのとき、高級なレースや輸入ブランドも
のでも、生地からだと、仕立てあがりの半額以下!!

 そんな中で思いついたのが、和服のリフォームである。
 せいぜい、「作務衣」くらいしか簡略な和服を着る人がなかった時期なので、
わたしの改良民族服は、珍しくみられた。
 自慢になるが、1980年代の後半に、「現代風俗研究会」のプロジェクトチ
ームで現代和服考といったテーマで研究をしたことがある。その基本軸の案は
私が出したものだ。着る機会も少ない和服を嫁入りに備えるなんて、ナンセンス
!!箪笥の肥やしにしてどうなるっ??

 帯の歴史を調べてみても、幅広の帯の着用は江戸期である。庶民らは日常着と
して、もっと気楽に着ていたんや!!明治になり、「洋装」一つのステータスと
なり、富裕層が着用するようなったのである。
 わたしは、庶民の伝統文化の継承があってもよいではないか?と思う。ただ、
和服地は、高級な反物しか生産されなくなり、日常着の太物(木綿)は消えた・・
・。

 着付けに何本もの紐をつかい、帯には帯締めなど・・・と鬱陶しくなるような
「装い」に何か違うのではないか??
 これが、私の自分流の「和服」に至った理由である。

 
 
  

 
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