典虚てん手古舞

我が為の日々の記録! 74歳

心地よい夢見であった

2011年10月30日 | 「たかがブログ」されど、そこには私の一日一生

 日付が変わって、日曜日・・・。冷蔵庫の貼ってあるカレンダーで確かめてみると、10月30日で、今の時刻は0時40分である。

 用を足し、黒酢ドリンクを飲んだ後、血圧計で具合をみました。<151~84mmHg>

 その後、B5サイズの古いノートに、土曜日の記録を記しました。ずっと、以前に買った ノートですが、未使用のもの。数日前、水曜日から少し、書き始めました。

 やはり、ネット日記やブログでの表現というものと、ペンをもってかいたものは、同じ内容でも質的に異なるんですよね。読んでくださる方への<サービス>や、ここまで書くとまずいぞという計算や配慮が常に介在しています。

  GOO でのブログは<1879日>前に開設と今、確認。5年をこえていますが、数ヶ月、パソコンが壊れていた時期もありました。

 退職した中学の、前の中学校ときからですね。ギャンゴロイドの話とか!この頃の学校の話は、現在、パスワードを設定しています。わたしの携帯電話の下4桁の数字そのもの。

 私の場合なぜ、ブログなんかを使っているかというと、手紙や電話での直接のコミュニケーションが怖いからです。葉書一枚、もらって嬉しいのに、返信となると退いてしまい、日がたつつれ、申し訳ないと思っても、打っちゃっるに至る・・・。

  前年度もそうでしたが、年賀状も買い、作ったけれども出しませんでした・・・。孫の写真を入れたり。チェジュの風景を入れ、いくつかのパターンを作成・印刷!(インク代が高くついたぁ。

 ましてや、いつ喪中になるかも知れない現在です。お金もかかる・・・。

 やはり、実家を助けねばならないので、自分ひとりの出費では済んでいません。貯金、退職金を崩しています。はっきり

 わたしめは、「平均寿命」を物差しに「老後」を考えることを、愚かと考え、そのような信念に基づいて生きてきました。ひとそれぞれ。生まれながら、体が丈夫でない者、人たちも少なくないはずです。

 わたしだって、10年間、降圧剤を服用しています。春からは、メバロチン5mgが加わりました。「母よりも、先に死ぬな」というドクターの配慮です。

  いちばんの懸念は、半端じゃない書籍の分量です。しかしながら、 書籍がすでに、金と交換される<商品化>がすすみ、活字を通して、思索や考察の手がかりとなる<文化の伝達>を喪失しつつあります。

 まず、自分で思考、考えて、たった一度、自分のかけがえない命、暮らし、生きるということ、放棄しつつあのます。

 いまや、私たちは、かけがえのない命を全うする「人」そのものではなく、「モノ」です。

 自己疎外され、商品化された「ひと」は「人材」であり「人財」・・・。使い捨ての、耐久消費財そのものです。

 

 おかねと交換される商品化された<財>であり、常に消耗されて、カイロのように、使い捨てられてるところにまでも来ました。

 自殺者の急増・・・。いけませんか?ただ、現実逃避ではく、この世に続く彼岸を信じつつ、仏道ならみほとけのもとへ・・・。

 2時です。薬が効いてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

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