典虚てん手古舞

我が為の日々の記録! 74歳

暁の奪還---「借りたものは返せ」

2016年01月03日 | 【日録】今日は何した?どう過ごした?

 二人の孫らと、一心寺から、「えんまどう」に向かっている途中、安居天満宮が目に留まったので立ち寄りました。松屋町通りに出る手前にあり、今は「真田幸村ブーム」のせいか、幟がたなびいておりました。年末30日の話です。

 「おぉい!戻っておいで」と先を行く孫らを引きもどし、 境内へ・・・。 

 「ここはねぇ、君らのお父さんが子どもの頃、蝉とりに来たところなのよ」

 鳥居をくぐった左では「会館」の建物が、壁のようにそびえて、三十年前の面影は消え失せました。でも、おやしろの周りは、そのままです。ほっ!そして、さい銭箱の横には、「おみくじ」が・・・。ほっ!ホッ!

 さっきまで、やつらは、「おみくじ♪ おみくじ♪」と、賑やかに吼えておったのです。

 一心寺にはありませんでした。そりゃそうでしょう。四天王寺さんには、当然あったかと思いますが、わたしゃ、むしむし・・・。騒いでねだるガキどもを、「まだあるから」と鎮めて、四天王寺・一心寺経由で「合法之辻 閻魔堂」へ!

 その途中の安居の天神さんで、やっと「御神籤」 ほっとしました。だって、100円だっも~ん箱の中に手を入れて、取り出すだけの御神籤です。

 さて、どういうわけか、上孫8歳は、賽銭箱の前に立つと、自分の財布からコイン・・・。募金箱を見れば、小銭を取り出すという習性があります。コンビニの一円玉の箱も然り!

 でも、下孫5歳の方に対しては、「まだ5歳だから」と親たちは、今のところ用心しているようです。お兄ちゃんの貯金箱から、500円玉を盗んで、コンビニへ・・・という「前科」が御座います。

 

  安居天満宮のお社の賽銭箱前で、「ばあば。百円、貸して」として来ました、申しました まさに、待っていた瞬間です。  「貸してというのは、返してくれるん?」と、下孫5歳へ 祖母のわたしがいうのも何ですが、彼は「甘え上手」の上、「可愛らしさオーラ」を、プンプン発散するガキジゴロなんやわ。  でも、賢い親たち&周辺も、しっかり見抜いているようです。

 

 適当に、可愛いとか大切とか、並の親の心情で育てられた子どもというものは、「獅子」の教育やしつけを受けておりません。かっての王族・貴族のひとたちは、直接に、我が子を養育しないという「歴史」があります。

 「」に囚われ過ぎずに、子や孫に関わるというこは、「自立」・「親離れ」が遅い人間にとっては、しんどいことです。おのれの人生の半分は、今だと20年間?少なくともですよ。

 まっ、現今の日本社会では、「親離れ」も出来ないままに時を過ごし、そのうちに「孫」…。

 最近、「祖父母を殺してしまった孫」という事件をちらりと見ましたが、どうなんでしょう? わたしは、テレビそのものを避けていまして、事件結果に対する「裁判報道」はみても、以外はスルーです。だって、親の介護で潰れた実子が、親を殺すなんて、大した事件ではありませんよ。

 

 わたしだって、身体だけは「健康な母」を疎ましく感じています。同居てしてる母の長男(マイ弟)の方が、もっとも、もっと、精神的にも苦しいと存じます。

 ただ、わたくしの心の中には、母の母。祖母西田テルが棲んでおります。シンプルに言えば、娘に迷惑をかけたくないし、その娘にやっと長男(マイ弟)も授かったし・・・・。もう、これで十分と、「四天王寺さんへ行く」。

 そのとき、私は小学年生でして、母方親族がなんやかや、揉めていましたが、覚えていません。

 「おかあちゃんを頼むわな」という、仏さんの世界に旅たつ前の言葉を拠り所に、実母ハクトーバの最期をみとられたいいのですが・・・。老人大事の社会保障のおかげさまで、「老衰」すら味わえぬままに、身体のみは「健康」。

 こんな薬を服用していたら、身体の機能は保てる・・・。

 

 さてさて、タイトルは、「借りたモノは 返せ」でありました。早朝、実家へ空のバスケットをもって、我が家の食器を「奪還」してまいました。

 身辺整理の中で、多過ぎる食器類は、もらっ頂いたり、捨てたりで、数がありません。マンション転居で、購入した「食器棚」も、地震怖さで処分・・・。なくても済む家財は、処分、処分の数年間あります。(現在進行)

 これを入れようと、捜した皿や器がなくて、困りに困った正月でした。 借りたモノは、返せ!

 マジ、実家連のやつらから、ぱっと姿を消す? そこまで、やつらの無頓着な生活ぶりには呆れてるっ。わたしは、あなたらの家族ではないのよ!

 

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